ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2540)

 メディア化しない<TV老人>

   先回、知らず知らずのうちに、僕たちは"メディア化"されているという話をしました。

 しかし、全ての人々がそのような恩恵に与れているわけではありません。

 ゼロ年代の初頭に、デジタル・デバイドという言葉が盛んに問題とされました。日本語にすれば、情報格差です。おそらく当時の感覚では、情報格差はあくまで"概念上の問題"であって、実生活を送る上では、それほど関係なかったと記憶しています。

 情報格差が、実際上の問題として顕在化してきたのは、やはり常時接続とブロードバンドの普及以降です。

 ダイヤルアップ接続の時代には、"接続料"や"通信料"のことが気になって、あまり自由にウェブを使うことができなかった。2001年頃、毎月の電話代が1万円を超えて、親に叱られた記憶があります。

 動画や音声をダウンロードするにも一苦労で、やたら時間がかかりました。もちろん、「当時は不便だった」というのはあくまで今の感覚で、当時としてはそれでも十分に便利でした。

(こういうことは、今のうちに意識的に記しておかないと、いずれ忘れてしまうでしょう。)

 しかし、通信速度の向上とウェブ接続のコストが下がったことで、インターネットの使い勝手は劇的に改善しました。

 新しいメディアも登場しました。中でも、ポッドキャストの普及は、人間の知的活動にとって、決定的に重要だったと僕は判断しています。

 僕にとっては、ポッドキャストによって、PCの前で作業をしている時間だけでなく、生活全般にIT革命の恩恵が広がりました。例えば、思いついたことをICレコーダーに向かって喋って、それをウェブにアップするという芸当もできるようになりました。

 つい僕たちは、「そんなの当たり前のことじゃないか」と言う。

 でも、それは違う。人類が経た歴史の中で、こんな時代はちっとも当たり前ではないのです。 

 他人とコミュニケーションを取るためには、実際に相手のもとに出向いて話をしなければならなかった。だからこそ、文字や紙、さらには活版印刷術の発明は革命にも等しい出来事だった。

 電気が実用化され、電話がコミュニケーションのスタイルを根本的に変えたのも、そう昔のことではない。たかだかここ数世紀のうちの出来事だ。でも僕たちは、あたかも「ずっと昔からそうだった」かのような錯覚を抱く。

 でも、一方でこのような急速な変化から取り残されている人たちも確実に存在します。

 僕はある種のカテゴリーに属する人々を"TV老人"と呼んでいます。「朝起きて、TVを見て、夜寝る」で記述できるような生活を送っているような人々です。

 入院中、同室にいたのが、まさにそういうご老人でした。実際の年齢は関係ありません。それでも、高齢者ほどその比率が高いという傾向はあります。

 単純な話、現代において主要な情報源が、ウェブかTVかによって、両者の間には決定的な情報格差が生まれます。そして、その格差は広がる一方です。この文章を読んでいる人なら、ほぼ全員が納得するでしょう。

 TVというメディアにおいては、視聴者は一方的に情報を受信するだけです。手放しで"双方向性"を賛美するわけではありませんが、「プラットフォームとして自分の情報を発信したり共有する手段が用意されていない」というのは、ウェブと比べれば明らかに劣っています。

 病院で実際にそうだったのですが、TV老人は、おかしなTV番組を見ても、「馬鹿だなぁ」と独り言をつぶやくだけです。誰とも、その感覚を共有することがありません。

 IT革命以前は、僕たちにとっても、それが当たり前だった。でも、今はそうじゃない。

 その一方で、今でもその状態に取り残されたままの人がいる。仮にウェブでは普通に流通している情報に自分だけアクセスできないとしたら、その不利益は計りしれません。

 「特定の誰かにだけ、情報を与えない」というのは、政治的にほとんど謀略です。

 情報格差問題で深刻なのは、"独り勝ち"ではなく、むしろ"独り負け"の方です。"TV老人"たちが置かれている状況が、まさにそうです。しかも、当の本人たちにはその自覚と危機感がない。

 いかに彼らを"情報救済"するか。それは現代の喫緊の課題と言えるでしょう。

追記.「"TV老人"の類義語に"パチンコ老人"や"競馬老人"がある」と書くのは、さすがに憚られました。

山田宏哉記
 
 2010.4.19
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