ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2542)

 【実務家の批評】雑談の効用

   ようやく、春らしい気候になってきました。桜は新緑へと姿を変え、日中は陽の光が射し、東京の大森近辺は、のどかな趣がありました。春うらら、です。

 大人にとって、こういう「どうでもいい話」ができるというのは、必須のスキルです。

 あまり親密ではない人とエレベーターで二人切りになったとき、沈黙で気まずい雰囲気になったら、「今日はいい天気ですね」くらいのことは言ってもいいでしょう。

 きっと、「ええ、そうですね」くらいの返事が返ってくるはずです。

 「今日はいい天気ですね」「ええ、そうですね」というやりとりを文字通りに解釈すれば、情報価値はほとんどありません。外を見れば、わかります。

 コミュニケーション能力の高い人には、これがメタ・メッセージだとわかるでしょう。

 要するに、このやり取りの裏にある意味は、「私はあなたに対して、敵意は持っていません」「ええ、私もです」ということなのです(普通はここまで意識しないでしょうが)。

 こうして、エレベーターに乗っている2人は、互いに安心することができた。これは、充分に意味のあることです。

 もっとも、実際に口に出して「私は敵意を持っていません」などという人がいたら、それだけで不審人物です。

 こういう非言語的なメッセージの重要性は誰しも納得するでしょう。

 「どうでもいい話ができる」というのは、大人の条件です。もちろん天気の話でなくとも、「電車が止まりましたね」とか「もうすぐGWですね」でも、何でもいい。最悪、「どうも、どうも」でも構わない。

 それは一種の護身術です。

 ツイッターで意味不明のつぶやきを投稿している人も、きっと「私は生きてますよ、そして今ツイッターにアクセスしていますよ」というメタ・メッセージを発しているのです。

 単純に「情報密度が薄い発言には意味がない」と思うだけでは、まだまだ底が浅い。

 とりとめのない雑談にも、一定の効用はあるのです。

追記.もちろん、以上のように"親近感を演出"する人が善人であるとは限りません。念のため。

山田宏哉記
 
 2010.4.19
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