ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2543)

 エゴサーチを採否の判断材料にしてよいか

   まもなくエゴサーチegosearchingが社会的な大問題として顕在化するでしょう。問題になる場面も大凡予想がつきます。

 「企業の採用担当者が、応募者の名前をウェブで検索し、それを採否の判断材料にすることは認められるか」

 実のところ、「認められる、認められない」の議論をする以前に、既にやっているところはやっているようです。詳細な採用プロセスというのは、どの企業にとっても社外秘に属することであり、正直なところわかりません。

 「同和地区出身者は不採用」などの選別、以前は広く行われていたようですが、今やったら大問題になります。

 単純な話、「ウェブで名前を検索して、芳しくない評判の人は不採用」という選別は、許されるべきでしょうか。僕は控えるべきだと思う。

 実務的に特に問題となりそうなのが、同姓同名による人違いです。

 怖いのは、不採用になった理由は非公表だという点にあります。これは、就活生にとっては結構、深刻な問題です。

 ウェブでの悪評は、必ずしも本人の非とは言えない場合もあります。実名で誹謗中傷されたり、デマを流されたり、名前を騙られたりするケースもあります(僕はいずれも経験しました)。

 エゴサーチを理由に不採用とした場合、企業は応募者にその旨を伝えないと、さすがに気の毒です。

 本人は、面接で上手く喋れなかったことが不採用の理由だと思っているのに、実際に落とされた理由が「同姓同名の犯罪者と間違えられたから」では、さすがに笑えません。

 しかも、応募者側からすれば、人違いで不採用になっていたとしても、確かめようがありません。。

 この場合、同姓同名の犯罪者がいるということが、"実害"となって襲いかかってきます。

 僕の場合、生物学方面に同年代で同姓同名の人がいまして、間違えて僕に生物学学会の案内が送られてきたこともあります。

 逆に僕と同姓同名の人が就職しようと思った際、エゴサーチで僕の評判と混同され、「問題人物」と判定されて就職できなかったら、さすがに気の毒です。

 仮にウェブ上での自分の評判が就職活動と直結するようになると、今以上に息苦しく、閉鎖的な世の中になるということです。

 例えば、学校でのいじめられっ子は、ウェブで誹謗中傷され、エゴサーチで「評判が悪い」と判定され、将来まともな企業に就職できなくなる。これのどこが素晴らしいのか。

 これは"悪しき日本的世間"への退行そのものです。

 しかも、ウェブに漂流する評判は、実質的にもはや回収もリセットもできません。これでは、「一度失敗したら、終わり」の監視社会そのものです。

追記.個人的に、この分野では随分と嫌な目に遭ってきたので、復讐心がこもっています。

山田宏哉記
 
 2010.4.21
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