ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2549)

 【実務家の批評】誰を見て仕事をするのか

 「誰を見て仕事をするのか」という問に対する答えは、ある意味で決まっています。それは"顧客"に他なりません。

 具体的に言えば、食料品メーカーにとっては消費者であり、物書きにとっては読者であり、ミュージシャンにとってはリスナーです。ごく当たり前のことです。

 しかし、実際にこれを貫くためには、ある種の困難が伴うことを、社会人であれば誰でも知っているでしょう。

 会社員であれば、上司を見て仕事をし、物書きは編集者を見て仕事をし、ミュージシャンはプロデューサーを見て仕事をする。人事権や決裁権を持った人の顔色を伺って仕事をしてしまうのは、人間の性みたいなものです。

 「上司と顧客の求めるもの」あるいは「編集者と読者が求めるもの」が一致している限り、問題が表面化することはさほどありません。

 ただし、そういう場合ばかりではない。人事権や決裁権のことを考えれば、顧客を裏切った方が利益になることもある。

 そういう場合、どうするのか。妥協をするのか、しないのか。矜恃を持って仕事をするためには、避けて通るわけにはいきません。

 僕は、食品偽装をした会社の社員が、さして倫理的に劣っていたとは思わない。

 消費者を裏切ってでも、組織や上司の指示に従っていた方が、居心地がいいことは間違いがないからです。

 食品偽装は、たまたま反社会的な行いだったから、問題だった。

 では、物書きが硬派なノンフィクションを書きたいのに、「自己啓発本を書いて欲しい」と言ってきたらどうするのか。ロックバンド志向のミュージシャンが、「演歌歌手のバックバンドとしてなら使ってもいい」と言われたら、どうするのか。

 おそらく、正解はないでしょう。ある種の妥協をすることも避けることはできないでしょう。

 それでも、「あくまで、顧客のために仕事をしている」ということは忘れるべきではないと思う。なぜなら、それが社会で働く上での"存在証明"みたいなものだからです。

 好きなことを仕事にできるのは、ごく少数です。仕事を好きになることも難しいかもしれない。組織の中で昇進ができるとも限りません。

 それでも、顧客のために仕事をすることができたなら、そこには"救い"があると僕は思います。

追記.日曜の夜は、大抵、こんなことを書きたくなります。

山田宏哉記
 
 2010.4.25
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