ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2550)

 なぜ、弟子は師匠を超えられないのか

 二十代の前半、僕にも師匠と呼べる人がいたことがあります。芸事の上達をはかる上で、師匠を持つことの素晴らしさと限界を同時に感じました。

 不思議なことに、弟子はどれだけ努力しても、師匠を超えることができません。そのように構造化された関係を師弟関係を呼びます。

 僕自身の経験を振り返ると、師弟関係の中では「師匠に近づく」ことが最大の美徳となります。

 入門初期においては、「師匠に近づく」ことがイコールで「実力が向上する」ということです。この実力向上のスピードは独学で学ぶよりも遙かに速い。これは確かです。

 師匠の教えを受け、師匠の真似をする。おそらく初学者にとっては、この学習法に勝るものはありません。

 また、部外者から「○○先生の弟子」と見られることに、ある種の誇りを覚えることも確かです。決して嫌な気にはならなかった。

 しかし、ある時、気付くことになります。このままでは永遠に師匠を超えられない、と。

 弟子が集まる組織の中で、師匠の存在は創業経営者みたいなものです。すなわち、絶対に超えることができない存在です。

 その前提のもとで、「誰が一番師匠に近いか」を競い合う。

 この前提に異議を唱える者は、実質的に破門処分になります。こうして、いつしか評価の基準が「実力」ではなく、「師匠との距離」にすり替わっていく。

 謙虚にも「少しでも師匠に近づくこと」を人生の目的にできる人ならば、これでいい。しかし、そうではない型の人もいる。僕は明らかに後者です。

 人生のある時期において、師匠に教えを乞い、その恩に感謝し、忠誠を誓った。その事実は揺るがない。ただし、それはいつまでも続く関係ではない。

 弟子にはいつしか、実力で師匠を打ち倒さねばならない時がやってくる。実は、師匠もそれを望んでいる。

 思うに、それこそが「恩に報いる」ということです。

 「父親殺し」を決行するためにも、ある時、弟子は師の元を去らなければならない。

 この一点を誤魔化す限り、いつまでも師匠の二番煎じから脱却することはできない。

 ごく個人的に「師弟関係とはそういうものだ」と僕は思います。   

追記.尚、処世的には、本業では師匠を持たず、自分が2番目か3番目に大切にしている分野で師匠を持つのが得策だと思います。以上、独断的師弟関係論でした。

山田宏哉記
 
 2010.4.25
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