ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2552)

 情報環鎖からの排除

 予てから、「特定の誰かにだけ、重要な情報を伝達しないこと」を意味する用語が必要だと考えてきました。

 ここでは便宜的に"情報環鎖からの排除"と表現します。"情報環鎖"とは、(内部)情報のネットワークを指す僕の造語です。

 この行為は、ものすごく重要な意味を持っています。そして、僕たちはその加害者になる可能性も、被害者になる可能性もあります。

 素朴な例としては、学校のいじめがあります。「いじめの本質とは何か」と言われれば、特定の誰かだけを"情報環鎖"から外すことです。

 古典的なイジメのイメージは、ジャイアンのような乱暴者が、のび太のような子供に身体的な暴力をふるうというものです。今の時分のイジメは、主として情報面でのものです。

 「無視する」というのは、あくまで表面的な行為のことであって、あまり本質的なことではありません。

 標的を「みんなが知っていることを、自分だけ知らない」という境遇に追い込む。

 そして「誰が"情報環鎖"のメンバーで、誰がそこから排除されているのか」は、外部からはほとんど観察不可能です。

 この種の問題は、大人になってからもついて回ります。いやむしろ、大人になってからの方が深刻です。

 (一般に女性はこういうことに非常に敏感です。"女性の仲良しグループ"に渦巻く複雑な人間模様と情報ネットワークを遠目に眺めれば、納得のいく人も多いでしょう)

 例えば、仕事仲間が事前に読むべき会議の資料をメンバー全員に送る際、"つい、うっかりと"宛先からあなたのメールアドレスだけを外してしまったとする。

 この場合、あなたが会議で不利な立場になることは、言うまでもないでしょう。下手をすると、あなたが会議が開かれることも知らないままだったかもしれない。

 ありがちな事例ではありますが、仮にこれを"意図的"にやったとしたら、大変なことになります。さすがにここまでする人はほとんどいないでしょう。

 とはいえ、仕事仲間であれ、参考程度の情報を相手を選んで伝えることは、おそらく誰でもやっていると思います。

 「気が合うAさんには、業務に関連した雑誌記事等の紹介をするけど、Bさんに対しては最低限の業務連絡しかしない」といった具合です。飲み会に誘うときも、決して平等に仕事仲間全員に声をかけてはいないでしょう。

 単純な話、昼休みに一緒に昼食をメンバーを見れば、一目瞭然です。しかも、会議における"正式な発言"よりも、食事の際の雑談の方が大きな意味を持つことは日常茶飯事です。

 組織で働く以上、"情報面で孤立する"ということは、何としてでも避けなければなりません。ただし、"情報環鎖"から外された側は、そのことに気付きようがない。

 社会人である以上、"情報環鎖"のメンバーは、何も"謀略"を仕掛けるつもりでやっているわけではないでしょう。ですが、排除された側にとっては、結果的に謀略同然の意味を持ちます。これが怖いところです。

追記.情報環鎖。この造語に手応えあり。本稿執筆時点では、グーグルの検索結果でヒット0件でした。

山田宏哉記
 
 2010.4.28
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