ジョン・スミスへの手紙
サイバー・ラボ・ノート (2557)
"英会話重視"は時代錯誤である
今時、"英会話重視"は時代錯誤です。
普通の日本人が英語と関わる上で、圧倒的に重要なのは、"読解能力"です。ウェブの存在がこれを決定的にしました。
日本で生活する限り、「英語で外国人と話す」場面は、実はそれほど想定する必要がありません。
1週間の海外旅行のために、英会話学校に通うのも、コストパフォーマンスが悪すぎます。
それより、英文のウェブサイトで情報を収集することの方が、遙かに身近で重要です。
ウィキペディアで調べる際も、同じ項目に関して、大抵、日本語よりも英語の方が詳細な情報が掲載されています。
あえて書きますが、"英文の読み書き"よりも、"英会話"を重視するのは、いわば"奴隷の論理"です。
批判的な思考能力は持たず、口頭での命令にひたすら盲従する。会話はできるが、読み書きはできない。それが理想的な奴隷のあり方です。
もっとも、日本の子供たちが、将来"奴隷"になるというのは、案外、あり得る話です。日本経済は衰退し、日本では定職につけず、海外に出稼ぎに行く。
帝国建設のためには、泥に塗れて働く生身の"奴隷"がどうしても必要です。
"英会話重視"を唱える人は、日本の子供たちが将来、職を求めて英語圏の危険な労働現場に出稼ぎに行くことを望んでいるのでしょうか。それなら確かに、"英会話重視"も納得できます。
でも、そうではないでしょう。
何も「デスクワークの職に就くのが望ましい」とは言いません。ただ、異国の地で高層ビルから転落したり、建築資材に潰されて終える人生よりは、随分と恵まれています。
この際、「英語でペラペラ喋りたい」という虚栄心は捨てましょう。それは表面的なことです。
普通の日本人として生き、英語の専門職に就くのでない限り、「英会話より、英文読解」を優先するのが得策です。
追記.以上、半年に1回くらいはする話でした。
山田宏哉記
2010.4.30 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ