ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2569)

 自尊心、この厄介なもの

 桜井章一(著)『努力しない生き方』(集英社新書)の中に"自尊心"に関する重要な記述があったので、引用して紹介します。

 <たとえば、昨今増えている自殺の原因は何よりもこの自尊心というやつだと思う。お金がなくなって生活が苦しくなるだけで人は死なない。生活が苦しくなることで自尊心が傷つけられ、無残な姿になるのが耐えられないのだ。>(前掲書P69)

 単純な話をすれば、自殺率は気候条件と相関があります。イメージ通り、気温が低い地域の方が自殺率が高い。ただし、日本の自殺率の高さは気候だけでは説明不能です。それを解く鍵のひとつが自尊心です。

 桜井氏の指摘は、おそらくその通りでしょう。

 僕は大学院時代、エリック・ホッファーの研究をしていました。ホッファーも狂信の根源を"自尊心の危機"に見ていました。それは次のような記述にも現れています。

 <神聖な大義名分を信仰すること(Faith in a holy cause)は、かなりの程度、自分自身に対する信頼が失われたこと(the lost faith in ourselves)の代用品である。>Eric Hoffer "The True Believer"

 身も蓋もない言い方をすると、僕も20代の前半から中盤にかけて、ずっと"自尊心の危機"に見舞われてきたように思います。

 自分の能力に対する自負や矜持が高い割に、日雇いや清掃員のアルバイトをして生活費を稼いでいました。不遇感が拭えなくて、たえずイライラしていたように思います。そして、やたらと攻撃的でした。

 そのせいか、今でも過激な政治運動や宗教活動に身を投じる若い人を見ると、つい「きっと彼は今、"不遇"なのだろう。周囲から正当な評価を受けていないことに、苛立っているのだろう」と思ってしまいます。

 かつてナチスが共産党員を"潜在的なナチス党員"と見做していたことは、実に的を射ていました。政治団体や宗教団体が信者として狙うのは、何よりも"不遇感"の強い若者です。思想の中身など、二次的な問題に過ぎません。

 昔から、"救済という教義"に熱狂し、暴走したのは、そんなミスフィッツ(社会不適応者)です。自殺という選択も、ファナティクスがもたらす一種の"救済"に他なりません。

 では、傷ついた自尊心は、どうすれば回復するのか。ひとつだけ言えるのは、答えは個別的にしかありえない、ということです。

 幸い、僕自身はかつての不遇感はもうない。たぶん、この社会の中に、それなりに居場所を確保することができたからです。

 比較的、恵まれた環境で仕事をさせてもらい、僕の実感では充分な報酬も頂いている。そして、この社会に貢献しているという自負もある。

 贅沢を言わなければ、たぶんそれだけでも充分なのです。

 自尊心も、お金と同じようなものでしょう。満たされたときは、顔を隠す。でも、満たされないとなると、そのことしか考えられなくなってしまう。随分と厄介なものですね。

追記.自尊心のざわめきとどう折り合いをつけるか。それはごく個人的な問題でありながら、公共性を孕んだ問題でもあるのです。

山田宏哉記
 
 2010.5.10
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