ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2575)

 "アクセス限定性"と情報価値

 一昔前は、書籍のタイトルやキャッチコピーによく「最新」という文言が入っていました。今は「最新」と言われても、あまりピンとこないでしょう。

 逆説的なことですが、リアルタイム・ウェブの進化によって、実は"リアルタイム性"の相対的な価値はむしろ下がっています。

 これまで伝達するのに0.5秒かかっていた情報を0.1秒にしたところで、もうあまり本質的なことは変わらないでしょう。

 例えば、TV番組です。リアルタイムでTV番組を視聴するのは、明らかに時間の無駄です。

 NHKの番組ですら、リアルタイムで見る価値はありません。NHKオンデマンドの契約をして、重要番組だけを週末などにまとめて観る方が明らかに効率的です。

 では、情報社会において、"リアルタイム性"に変わる情報価値の尺度は何なのか。

 実は、"NHKオンデマンドの契約"というのが、ひとつのヒントになります。NHKの番組(NHKスペシャルやクローズアップ現代など)は放送終了後、よくウェブで話題になります。

 実績の具体例としては、「ワーキング・プア」「沸騰都市」「無縁社会」などがあります。

 録画などをしていない限り、普通の人は、ウェブでNHKの番組が言及された場合、幸運にも見ていたら思い出しながら解釈するか、テキスト情報を元に「どのような番組だったのか」を推測するしかありません。

 NHKオンデマンドの契約をしていれば、1週間分くらいは後から遡及的に「ウェブで話題になった重要番組そのもの」を視聴して、内容を確認することができます。実は、この差が大きいのです。

 すなわち、「"アクセス限定性"こそが情報価値の源泉(核心部分)になる」というのが、僕の仮説です。

 もちろん、NHKオンデマンドは、誰でもお金を払えば契約できますし、重要番組はYoutubeなどに投稿される場合が多いことも事実です。ですので、"限定性"は比較的軽めです。

 では、これが新聞記事のデータベースだったらどうでしょう。もちろん、これも誰でも契約すれば利用できます。

 しかし、その料金を払うことが出来る人は、かなり限られてくる(例えば、学生が自腹で日経テレコンの契約をするのは、かなり厳しいです)ので、現実には"限定性"がかなりの強度を持つようになります。

 少なくとも、クリックひとつで誰でもアクセスできるウェブサイトの情報よりは、限定性が強い。

 言語の壁もあります。単純な話、「英語の情報を日本語に訳して紹介する」人が重宝されることをイメージすれば充分でしょう。実際、この手法は長らく日本の文系研究者の"メシの種"でもありました。

 人的ネットワークの内部の人間でだけ共有される情報や、学問的な研鑽を積まなければ理解できない内容に関しても、同じことが言えます。

 このように考えていくと、最も"アクセス限定性"が強い情報媒体とは何か。それは、"自分自身の直接体験"に他なりません。すなわち、一次情報です。

 情報戦の勝敗は、一次情報の段階で決する場合が多くなり、「どれだけ自分の中に、語るに足る情報を蓄積するか」が切実なテーマになる傾向が、ますます強まるでしょう。

 もはや、よほどの工夫や閃きがない限り、ネットで配信される日本語の新聞記事を引用して「評論家風の意見」を言うようなスタイルでは、大きな価値を生み出すことはできないのでしょう。そのレベルのことは、その辺の引きこもりでもできるのです。

 やはりキーワードは"アクセス限定性"です。そして、情報戦を勝ち抜くためには、"普通の人がよりアクセスしがたい情報媒体"を情報源とするような強かさが必要でしょう。

追記.これは、我ながらなかなか重要記事だと思います、うむ。

山田宏哉記
 
 2010.5.16
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