ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2578)

 "欠落の克服"によって得られるもの

 世の中には、最も大切とまでは言えないが「ないよりはあった方がいい」ものがたくさんあります。

 典型的なものが"お金"です。思うに、お金があることの最大のメリットは、「おカネの心配をしなくて済む」点にあると思います。

 「金持ちはお金のことしか考えない」というのは、「学歴社会批判」と同類の"ガス抜きの言論"です。現実には低所得者や多重債務者ほど、お金以外のことが考えられくなります。

 僕自身、今よりも学生時代の方が、確実に自分の時給とか昼食の食事代などのことをあれこれ思い悩んでいました。言い換えると、お金のことを考える比率が高かったです。

 ですので、お金は、ないよりはあった方がいい。当たり前の話ですが、これは結構、重要な考え方です。

 同様に、学歴、知識、教養、地位、名誉、運動能力、自分のウェブサイトなども、ないよりはあった方がいいものです。

 逆に聞いてもいないのに、自分のことを「どうせ、三流大学出身ですから」とか「どうせ、アルバイトですから」などと言い出す人がいます。こういう予防線を張るような卑屈な物言いは、人生を決定的に損なうように思います。

 一流大学を卒業することも、一流企業に勤めることも、別に自慢するような事柄ではない。学歴も勤務先も、本質的な意味を持つものではありません。

 仮に、"低学歴"で"非正規雇用"の立場であっても、自分の人生に矜持を持つことができたなら、それで充分でしょう。

 ところが、"低学歴"で"非正規雇用"の立場の人が、まさにそのことが理由で卑屈になってしまうとしたら、一気に本質的な問題へと転化します。

 まっとうなビジネスパーソンならば「私は"正社員"である」などというアイデンティティの持ち方をしていません。雇用形態のことなど、ほとんど意識に上らないでしょう。

 ところが、「私は"非正規社員"である」というアイデンティティの持ち方をする人は、案外、目に付きます。

 "欠落"というのは、逆に顕在化しやすい。"低学歴"だったり、"無教養"だったり、"実績がないこと"だったり、"無名"だったりは、満たされた人にとっては「実にどうでもいいこと」です。

 しかし、それが欠落した人にとっては、何を差し置いても取り組むべき切実な課題になる傾向があります。「失って初めて気付いた云々」はラブソングの定番でもあります。

 おそらくこれは、"満たされた側の人"も、"満たされない側の人"の双方が承知しておいた方がよい事柄です。

 お金持ちには、貧乏人の苦労や切実さがわかりません。それは当たり前だし、むしろその方が健全です。

 すなわち劣等感を克服しても、その先にあるのは、あくまで「そのことで悩まずに済む」とか「そんなことはどうでもいいと感じる」という境地に過ぎません。

 ただし、そのことである種の"卑屈さ"から脱却できるのであれば、欠落の克服をすることの意味は大きいと思います。

 もっとも、そのことにどれだけの価値を見出すのかは、各人の判断次第でしょう。

追記. 当初は「"卑屈"という病」というタイトルだったのですが、これだとバッシング色が強すぎるので、調整しました。

山田宏哉記
 
 2010.5.19
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