ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2585)

 一次情報の訴求力、二次情報の援護射撃

 定期的にする話ですが、読書は"経験"を補完することはできますが、"代替"することはできません。体験によって得られた知見は、またの名を"一次情報"と呼びます。

 オリジナルの情報源から遠ざかるに従って、二次情報、三次情報などと呼ばれるようになります。

 言うまでもなく、一次情報の訴求力は、圧倒的です。僕が写真を撮りに"遠征"するのも、明確に一次情報を志向したものです。

 卑近な例を言えば、あなたが今、スマートフォンを購入しようか迷っているとします。

 そのとき、「スマートフォンを使っている人」の意見を参考にするか、「スマートフォンの記事を読んだ人」の意見を参考にするか、「スマートフォンの何たるを知らない人」の意見を参考にするか。

 答えは言うまでもないでしょう。体験とはそういうものです。

 もっとも、実際はそう単純ではない。

 では、「スマートフォンを使っている人」と「スマートフォンの記事を集めたり、整理したり、要約したりしている人」ではどうでしょうか。これは一概には言えません。

 二次情報であっても、質と量を確保することで、ある程度、一次情報に対抗することができるのです。これは重要な点です。

 結果、一次情報の記述者に対して、情報の収集・整理・要約をする人の数が相対的に増えました。

 要するに、"マスメディア報道の批評"がこの典型例です。新聞記事などをカット&ペーストして引用し、自分の評釈を付け加える。シンプルでありながら、このスタイルのコンテンツには一定の需要があります。

 その代償は、情報の上流工程(つまりはアジェンダ設定)を既存のマスメディアに握られる点にあります。しかも、他者と同じような情報源を使ってしまう、という問題もあります。

 ウェブに書くのであれ、なるべく記述を一次情報に近づけた方が、訴求力で優位に立てます。

 理想は、一次情報を「良質の二次情報で薄めて書く」という手法でしょう。

 この手法を使えば、一次情報の名の下に半径3メートル以内の話題に終始する人や、二次情報を切り貼りするだけの人に、差をつけることができます。

 例えば、交通事故に遭って裁判を起こした話を書籍としてまとめるとしたら、自分の体験したことを書くのだけでなく、「警視庁の発表によると、ここ20年の交通事故の推移は…」みたいな二次情報を織り交ぜることで、"文量の水増し"を図ることができます。

 実際、個人の体験だけでは手薄になりやすい"体系性"が補強されるので、"二次情報の援護射撃"はあった方がいいのです。少なくとも普通の読者に"情報密度の低下"を感じさせることもありません。

 個人の一次情報には限度がありますから、関連する二次情報で薄めるなどして、"出し惜しみ"した方が賢明です。一次情報に比べたら、関連する新聞記事や統計資料を調べる手間など、取るに足りません。

 要するに、戦略的に一次情報を収集し(つまり自分の中に"場数"を蓄積し)、アウトプットするときは「二次情報で薄めて出そう」という話です。

追記.ちなみに、ビジネスパーソンの実務経験というのは"一次情報そのもの"だと気付いた方がいいでしょう。

山田宏哉記
 
 2010.5.24
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