ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2588)

 人類が共有するべき記憶/映画『スラムドッグ$ミリオネア』

 映画『スラムドッグ$ミリオネア』を鑑賞しました。あまりに衝撃的な作品です。まだ観ていない人は、早く観た方がいいと思います。

 この映画は"インド社会の特殊性"を描いているようで、国境を越えて、宗教を超えて、訴求してくるものがありました。

 この作品を観ている人は、映画の登場人物たちと、生まれた境遇も、育った環境も、経済的な基盤も、全く異なるでしょう。にもかかわらず、これだけ共感したり、感情を揺さぶられたりするのは、ある意味、驚くべきことです。

 おそらく、人類には共有するべき記憶があるのです。『スラムドッグ$ミリオネア』を観て、最も強く感じたのはこの点です。

 "近代化"や"情報革命"が進行する中での、スラム街での生活。猥雑な密集空間で織り成される人々の営み。誰もが通過するような人生のひととき。

 そのすべてが愛すべき存在のように思えてきます。実際、その通りなのでしょう。

 これまでの映画観も揺さぶられました。

 「映画の使命とは何か」という問いを立てたとき、「人々が共有するべき"記憶"を提供すること」というのは、ひとつの回答になりえると僕は思います。そのことをこの作品は教えてくれました。

 僕は、この映画で描かれた"記憶"を、あたかも自分の人生の一部であるかのように感じるし、僕自身の"記憶"としても生き続けるでしょう。おそらく、そのように感じた人は少なくないでしょう。

 むしろ、人間である以上、この作品に対して「自分の人生とは何の関係もない」というスタンスをとることの方が難しい。傑作とは、すべからくそのようなものなのだと思います。

 最後にもう一度、強調しておきましょう。『スラムドッグ$ミリオネア』は、文句なしの傑作です。

追記.やっぱり、強引に時間を作ってでも映画は観るべきですね。

山田宏哉記
 
 2010.5.28
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