ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2591)

 一次情報と時間的立体感

 昨日は横浜みなとみらい地区を探訪し、"2010年の横浜"として記録しておきました。

 今度の週末は、東京の山谷(日雇い労働者の街)を探訪し、記録として残しておきたいと思っています。できれば、金曜日の夜から1泊\2,000くらいのドヤ街の宿に宿泊して、翌日・早朝の様子を写真に収めておきたい。

 なぜ、僕は一次情報にこだわるのか。

 僕は、2004年に山谷を探訪して、そのときの記録を文章に記録しています。当時と今を比較すれば時間的な立体感を浮き上がらせることができるでしょう。

 また、僕は2002年〜2004年にかけて、日雇い労働をしています。当時はまだ、日雇い労働に対するマスメディアの関心が薄く、社会問題として表面化していませんでした。

 マスメディアが語る日雇い労働の問題は筋書きが決まっています。

 すなわち"不安定な雇用"と"経済的な不遇"で苦しむ"可哀想な人々"だというステレオタイプです。

 僕は、自らの体験として、日雇い労働の魅力を語ることができます。

 それは「好きなときに働ける」という勤務形態の自由さとドライな人間関係です。

 身体を動かしていれば、コミュニケーションの量は最低限で済む。そして、人間関係は大抵、"その日限り"です。僕自身、日雇い労働をしていた理由はこれに尽きます。

 一般的には、これを"メリット"とは呼べないでしょう。言い方を変えると、僕の周囲では、これを"メリット"と感じられるような人が、日雇い労働をしていました。

 (もっとも、今は社会人として、毎日、同じ職場に通い、同じ仲間と顔を合わせることの良さも理解できるくらいには成熟しましたが。)

 例えば、以上は極めて属人的な記述であり、マスメディアが"報道"として扱うことはできないでしょう。年単位の時間的立体感を浮き上がらせるためには、1人の人間が"定点観測"をする必要があります。

 これも"組織の論理"が優先するマスメディアには難しい。

 今では、日雇い労働に対する風当たりが強くなり、仕事口はあまりないと思います。

 メディア報道された"悲惨な日雇い労働"を引用しながら批評できる人はたくさんいるでしょうが、体験者として「日雇い労働の魅力」を明確に言語化して語れる人は、今ではあまり多くはないでしょう。

 ある時期には極めて日常的だったことが、時間の経過と共に、"貴重な体験"と化してくる。世の中には、そういうことが溢れています。

 歴史を確定する際、"何気ない日常"は完全な盲点です。人はなかなか、あえて当たり前の日常を記録に残さないからです。

 だからこそ、やる価値がある。誰かが記録しておかなければ、綺麗に忘れ去れてしまう類の日常であり、生の体感です。1次情報の相対的な価値は、時間が経過するほど高くなる。

 思うに、戦略的に1次情報を記録として蓄積する強みはこの辺りにあります。

追記.今、僕がやっていることが実を結ぶのは、おそらく5年後、10年後の話になるでしょう。"一次情報の収集"は、そういう長期戦略だとご了承ください。

山田宏哉記
 
 2010.5.30
 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ