ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2595)

 予備知識による"感動の減衰"

 何事も"予習"や"下調べ"を入念に行った方がよいとはされます。

 ビジネスの分野であれば、その通りです。高額商品の購入なども事前に情報を収集して検討しておいた方が望ましいのは言うまでもありません。

 ただし、あまり予備知識を仕入れない方がよい分野もあるということは、覚えておいて損はありません。それは"感情"が大きな位置を占める分野です。

 例えば、「筋書きを読んでから、映画を観る」という行為を考えてみます。

 筋書きを読んで、「おもしろそうだ」と感じた映画を観るとする。確かに、こうすれば"外れ"がありません。なぜなら、結末も予め知っているからです。

 従って、「これは効率がいい!」と感じて、他人に勧めたくなるかもしれません。

 一方、これによって失われているものがあることは、あまり意識されません。それは、"感動の減衰"とでも呼ぶべきものです。

 予め筋書きを頭に入れることで、映画を観るという行為が、"体験"ではなく、"確認作業"と化す。これは致命的なことですらあります。

 筋書を知っている映画を観るときと、何の予備知識もなく映画を観るときでは、感情の揺れ方が違う。

 例えば、「この人は、もうすぐ死ぬ」とか知りながら映画を観るのは、ある意味で不幸なことです。筋書を知っているから、映画で起きる出来事はすべて想定内。これは、"感動の減衰"以外の何物でもありません。

 これに類似したことは、至る所で起こっています。

 今は、グーグルで世界中の場所の情報を得ることが出来ます。おそらく、海外旅行をしても、昔ほどの衝撃を受けることもないでしょう。

 むしろ「ストリート・ビューと同じ光景だった」と"確認"することが、海外旅行の目的と化すかもしれません。

 繰り返しますが、確かにこうすれば"外れ"を減らすことができるのです。

 ただし、安心感と引き換えに、感動を希薄化させていることに、人はなかなか気付きません。僕は、感情が重要な要素を占める事柄は、あまり"予習"をしない方が賢明だと思います。

追記.ここ何日か、出勤前の朝に記事を書いています。

山田宏哉記
 
 2010.6.5
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