ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2598)

 2010年の山谷 日雇い労働者たちの現在

 
2010年の6月4日の夜から5日にかけて、東京・山谷を探訪した。最大の目的は「日雇い労働者たちの現在」を自分の眼で確かめることだった。

 午前1時、山谷の商店街を通り抜けることで、計らずもこの目的は果たされた。

【資料1】山谷の商店街、午前1時。



 
異様な光景だった。高齢や不況で働けなくなったであろう者たちが、路上に自分の住処を作って横たわっていた。正確に数えたわけではないが、その数、100人くらいはいたと思う。

 イビキをかきながら寝ている者もいれば、意味不明の独り言をつぶやいている者もいる。死んでいたとしても、しばらくはわからないだろう。

 スラム街と化したアーケードを通り抜けながら、"突き刺すような視線"を感じた。彼らの大半は寝ているはずなのに、である。

 かなり遠方から写真撮影することが精一杯だった。尚、この商店街は、既にシャッター街と化している。

 これが、日本の"戦後復興"を支えてきた者たちの末路だとすれば、あまりに哀れである。

【資料2】山谷・ドヤ街から廃棄されたゴミ。異臭が漂う。


 
尚、「山谷では、今でも日雇い労働の斡旋が行われているか」は確認しておきたいポイントのひとつだった。

 そのため、1泊3,500の"高級ビジネスホテル"に宿泊した(その詳細は「2010年の山谷 高級ビジネスホテル宿泊記」にまとめている)。


【資料3】東浅草二丁目交差点、午前6時。


【資料4】日雇い労働者を援護するコインロッカーと作業洋品店。


 
翌朝午前6時、山谷を散策することにした。既に"職探し"をしている思しき人たちが、路上で待機したり、情報交換をしたり、歩き回っていた。

 また、立ち食いの飲食店、日雇い労働者向けの作業用品店、コインロッカーなどは、"商売繁盛"していた。

 残念ながら、「ワゴン車が来て人が乗り込む」といった決定的場面は目撃できなかったが、状況証拠から「今でも、山谷で日雇い労働の斡旋は行われている」と考えるのが合理的である。

  巷で聞くとおり、山谷の(元)日雇い労働者たちは、老齢化が著しい。肉体労働どころか、普通に歩くこともままならない人も多数散見される。

 残酷な言い方になるが、山谷の(元)日雇い労働者たちの生命は、もうそれほど長くはないと思う。そうなれば、山谷に関する歴史の大半が消失することになる。

 実は、歴史とは記憶と記録の中にしか存在しない。文字で記録されなかった"歴史"は、存在しないも同然である。

 学校で教えられる歴史は、幸運にも記録された事柄を、歴史家が発掘したものの集積に過ぎない。

 もちろん"山谷の歴史"を発掘するのは私の仕事ではない。それでも私は、「2010年の山谷」を記録として書き残しておきたいと思った。

 本稿はそのささやかな試みである。

 山田宏哉記
 
 2010.6.6
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