ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2599)

 "記憶の支配"という究極のビジネスモデル 

 蜷川真夫(著)『ネットの炎上力』(文春新書)を読了しました。

 著者は元新聞記者で「J-CASTニュース」の発行人をされています。独立系のメディアを立ち上げ、軌道に乗せていった記録が記されています。個人的に、非常に参考になりました。同時に反省させられました。

 以下、本書とはほとんど関係ない私の思索が展開します。

 私がウェブサイトや一次情報にやたらこだわるのは、たぶんあまり合理的な理由からではありません。

 自分の批評や分析能力に自信がある人ならば、情報源は他者に依存し、ブログで「メディアウォッチ」をした方が効率的にPVを稼げると思います。

 経済で言う、"分業"や"比較優位"の考え方を適用すれば、どうしてもそうなります。

 それでも僕は、情報源や伝達媒体という情報の基幹部分で他者に依存することを、生理的に避けたいと思います。

 僕は今、「人々の記憶を支配する」というコンセプトに対して警戒しています。

 人生の一場面を写真や動画や文章として記録する。「貴重な記憶」をオンラインの"安全な場所"に保管する。

 人々は、自分の"記憶"を"安全な場所"に保管したつもりではいます。では、その"記憶"を自由に取り出せることができるでしょうか。

 答えは、否です。"特定の動作環境"でなければ、人々は自分の"記憶"にアクセスすることができなくなるのです。

 多くの人々にとって、「記憶」こそは最上の財産であるため、"特定の動作環境"のコストが多少割高であっても、人々は受け入れざるを得ません。特に、リンゴマークの企業はこれを地で行っています。

 これは、究極のビジネスモデルです。今後、爆発的に普及する情報技術は、程度の差はあれ、「記憶」と密接な関係を持つもの(さらに言うならば「記憶を人質にとったもの」)になるだろうと考えます。

 この"特定の動作環境"のまたの名をプラットフォームと言います。

 "記憶"という究極の情報資源を支配するため、IT企業は"特定の動作環境"を提供しようと競い合います。これが、現代の情報社会を貫く大きな構図です。

 力強く、情報社会を生き抜くためには、確固たる基盤を持つ必要があるでしょう。

 "マスコミ報道"をもとに、ブログで"メディア批評"をするスタイルは、足元の基盤があまりに脆弱だと思います。

 新聞社発のニュースが配信されなくなったり、ブログサービスが停止すれば、一気に"活動停止"に追い込まれてしまいます。

 さらに言うならば、情報源や伝達媒体という情報の基幹部分を他者に依存するとことは、人質として"記憶"を差し出すことと同義なのです。

 やはり、ウェブ空間で闘うためには、原則、自ら収集した1次情報を元に、ブログではなくウェブサイトを主軸に活動するべきだと思いました。

 本書の内容とは全く関係ありませんが、そんなことを考えさせられました。

 ちなみに、私なら『J-CASTの挑戦』『メディア・モデル革命』『サイバー・スキャンダル』あたりのタイトルをつけたいところです。すなわち、そういう内容の本です。

追記.ところで最近、ジャーナリズムの基本であるはずの「裏を取る」という言葉をあまり見聞きしなくなりました。加速度的に「情報の検証」が甘くなってきているような気がします。

山田宏哉記
 
 2010.6.7
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