ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2605)

 確率の妥当性を検証できるか

 確率は、操作可能な数字です。そして、大抵の場合、事後的に妥当性を検証することはできません。

 「机の上にリンゴが30個ある」ことと「降水確率が30%」では、数値の性質が違います。前者は眼で確かめることができるが、後者は算出値のため確認が困難です。

 例えば、医者に「1ヶ月以上の生存率60%」を宣告された人がいたとします。

 この人が1ヶ月後に生きていようと、死んでいようと、"生存率60%"の妥当性を証明することにはなりません。

 同じような病状の人が10人いたとして、過去の経験から判断すると、10人中4人が亡くなっていた。"生存率60%"の正体は、このようなものでしょう。"生存率"などは、属人的な体質や基礎体力によって大きく変動してくることは、容易に想像がつきます。

 降水確率にしても、人間の死亡率(生存率)にしても、変数が多すぎてサイコロやルーレットのようには理論的には計算できないはずです。ところが、過去の経験から言える「人間の勘」が数値をまとうともっともらしくみえてしまいます。これは要注意です。

 私が、「(算出方法は秘密だが)10%の確率で10年以内に人類滅亡」と予言したとします。これはほとんど反証不能な命題です。10年後に人類が生存していようといまいと、この予言が外れたことにはならないからです。

 類似しているのが「首都圏を巨大地震が襲う確率」です。仮にこの数値が全くのデタラメだったとしても、それを見抜ける人はたぶんいないだろうし、事後的に(地震が起きても起きなくても)、この確率の妥当性を検証することもできません。

 派生的に言えるのは、数値・指標・単位には覚えるべき優先順位ということです。例えば、「100人」「100%」「100時間」「100点」「100円」なら、「100人」「100時間」「100円」「100点」「100%」の順に覚えるべきです。

 確率というのは、他の指標と比べると、それほど覚える価値はないのです。そのことを踏まえた上で、確率を利用するのが賢明ではないでしょうか。

山田宏哉記
 
 2010.6.15
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