ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2618)

  英会話に関する覚書

 先日、英会話のセミナーを受講する機会がありました。そのとき色々と感じるところがあったので、自分なりに考えをまとめておきます。

 まず、英会話というのは、英文の読み書きと違って、"度胸"がものを言う点が挙げられます。発音や文法が間違っていようが、変に萎縮しないことが最も重要と言えるでしょう。

 繰り返しますが、これは英文の読み書きとは異質なものです。英文の読み書きであれば、度胸などよりも、知識と学習する習慣の方が遥かに大切です。

 現代社会において最も重要なのは、英語を"読む"能力です。これは一貫しています。英会話をやってみたからといって、この考えが変わることはありません。

 ただし、以前と比べれば、英会話の重要性が増してきていることも確かです。英語を話すことができれば、世界中の人とのコミュニケーションが可能になります。例えば、日本人と韓国人が話をするときでも、英語を"共通語"として使うのが合理的でしょう。

 そのことを踏まえた上で、英会話との付き合い方を考えてみます。

 まず、僕が感じたのは「笑ってしまうくらいに喋れない」ということです。英会話は"練習"するものであって、"勉強"するものではないようです。

 大学受験の時に、英語の偏差値が70以上あった人でも、ロクに喋れない人が多数派でしょう。実は、僕はこれでいいと思います。英語で道案内をするより、ウェブで英文の専門記事を読めることの方が遥かに重要です。

 語学の上達は、すべからくアウトプットの質と量にかかっています。日本語であっても、流暢に喋るためには、普段から日本語で話していることが重要です。

 いくら文法の知識を詰め込んでも、練習をしなければ英語を話せるようにはならないでしょう(但し、「英会話よりも、英文法の知識を詰め込むことの方が大切だ」という点も再度、強調しておきます)。

 逆に言えば、英会話は練習さえすれば、誰でも一定の水準に達することができる。実は、ただそれだけのことなのです。

 ところで、英語学習に対して「まず日本語から」という批判はそろそろ自粛した方がよい時に来ているように思います。日本語を完璧にしようと思ったら、それだけで人生が終わってしまいます。

 僕たちは、どこかで英語学習への「見切り発車」をしなくてはならないでしょう。

山田宏哉記
 
 2010.6.28
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