ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2620)

 "既得権益"の上の日本人

 ただ、日本という国に生まれたというだけで、物質的に豊かな生活を営む権利があるのだろうか。

 これは不公平な"既得権益"ではないか。

 「日本の将来には希望が持てない」とか「アメリカの属国だ」という嘆きは理解できるが、それでも物質的に豊かな国だ。

 普通の人が、水や食料品、寝る場所に困るということはない。「惨めな生活」を送っているとされる人々も、ウェブへの接続環境くらいは確保している場合が多い。

 世界には今でも社会インフラが不十分なため、才能や能力があるにもかかわらず、教育機会に恵まれない人がたくさんいる。ウェブと低価格PCは彼らにとっての希望だろう。僕が心情的に応援したいのも、そんな新興国の野心的な若者たちだ。

 幸か不幸か、「日本国に生まれた、日本人である」という"既得権益"は解体しつつある。

 もう「最低賃金を¥1000にせよ」みたいな議論が通用する時代ではなくなった。「単純労働者の年収相場は1万ドル」といったように、世界の相場でものを考えざるを得なくなる。

 日本国内でも、理科系の学会の公用語は既に英語になっている。ビジネスの世界でも、英語を公用語にする動きは、今後、強まることはあれども、弱まることはないだろう。

 しかも、経済合理性からすれば、企業は日本人を教育して英語を使えるようにするより、日本語が堪能な外国人を雇った方が効率的だ。日本人にとっては、これは脅威だろう。世界水準からすれば、大半の日本人は既得権益の上で、能力以上の収入を得ている。

 ひとつの基準として、例えばマニュアルを作成する側にまわるか、マニュアルに従う側にまわるかで、生活水準が大きく変わってくるはずだ。

 この市場経済の中で、いかに自分の居場所を確保し、できることなら重要なプレイヤーとして活躍するのか。これは、僕たちひとりひとりに突きつけられた厳しい問である。

 山田宏哉記

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 2010.7.3
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