ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2638)

世代と共同記憶

 人は所詮、自分が実際に生きた時代のことしか、リアルには感じられないのかもしれません。僕が微妙な機微に踏み込んで語れるのも、やはり自分が生きた時代のことになります。

 知識ならば、いくらでも後から学習できる。しかし、同時代を生きた感触はわからない。世代としての"共同記憶"を考える上で、ここに重要なヒントが隠されているように思います。

 僕と同じ1980年代前半生まれの多くは、いまや社会人としての歩みを始めていることでしょう。そこで、改めて僕たちの"共同記憶"というものを考えてみたいと思います。

 僕にとって、社会的な記憶が始まったのは、1995年でした。この年、阪神大震災とオウム真理教の地下鉄サリン事件が立て続けに起こりました。

 1995年以前の世界は、どこかぼんやりとしたものでした。ふわふわしていた。"冷戦構造の崩壊"や"昭和という時代の終わり"というイベントはあったけれども、あまり切迫した課題として突き付けられたわけではありませんでした。

 そして、僕たちはあの地震で「目が覚めた」。否応なしに、この世界に投げ込まれた。

 1995年には、Mr.Childrenの「es」と「シーソーゲーム」が発表され、続く1996年には「名もなき詩」と「花」が発売になりました。

 僕は2010年の今でも、Mr.Childrenの「名もなき詩」と「花」がJPOP史上の最高傑作だと思っています。僕と同世代の人には、そう思っている人が少なからずいるでしょう。やはり10代の頃に聴いた音楽には特別な何かが宿っています。

 中学時代から高校時代にかけて数字でメッセージを伝えるポケベルが流行し始めました。それがPHSに代わり、やがて携帯電話へと変わっていきました。

 高校時代には、携帯電話を持っていると「浮かれている」と目なされる風潮がギリギリで残っていました。紙の手紙を書く習慣もかろうじて残っていました。

 これが2000年頃になると、今度は携帯電話を持ってない側が肩身が狭い思いをするようになりました。

 僕が携帯電話を使い始めたのは2001年に大学に入学してからです。この頃になるともう、普通の学生生活を楽しみたい若者にとって、「携帯電話を持たない」という選択は許されないものになっていました。

 大学生にとって、「携帯電話の番号やメールアドレスを交換する」という行為が、人間関係構築のための重要なプロセスとして浮上してきたのです。

 この辺りの機微は、実際にこの時代を生きた人でないと、なかなかわからないだろうと思います。

 「あの学生運動の季節」とか「革マルの闘士」という表現が持つ暗黙のニュアンスが、一定の世代にしか通用しないのと同じです。

 そして、2001年には、アメリカで同時多発テロが起き、僕も自分のウェブサイトを作るようになりました。これ以降は、「最近の出来事」なので、まだ"共同記憶"として語るには早いでしょう。

 人は自分が生きる時代を、自分で選ぶことができません。にも拘わらず、時代の制約から逃れて生きるわけにはいきません。

 ならばせめて、自分が見た光景を、客観的に語られる歴史と突き合わせることによって、"記憶"として蓄積していく作業が必要なのではないでしょうか。

山田宏哉記
 

 2010.7.21
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