ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2640)

権威を付与するもの、されるもの

 余談から入りますが、「2010年の六本木ヒルズ、宴の後の森タワーをゆく」という私の原稿を「副島隆彦の学問道場」の「今日のぼやき」に掲載して頂きました。

 掲載いただいたのは有料会員限定のページです。なぜか私が「有識者」として紹介され、おかげで私と文筆劇場の知名度向上(?)にもつながったようです。

 私が天才的な発想力と鋭い直感で、普段から極めてクオリティの高い記事を書いているのは自明のことです(社会人になって謙虚な立ち振る舞いを覚えましたが、本音ではそう思っている)。が、自分でそう書いても説得力がないですよね。

 ところが、言っている内容そのものは同じでも、他人から「有識者」とか「文才がある」という評価を受けたり、有力な媒体に掲載されたりすると、妙な説得力が生まれます。不思議なものですね。

 大学の論文集や学会誌というのは、あまりのつまらなさに読む人は少ないけれど、自分が書いた論文が掲載されれば、「業績」としてカウントされます。

 つまり、研究者を権威付けする役割を果たしている。これが重要な点です。だから、読者がほとんどいなくても廃刊にはなりません。

 ほとんど誰も紙の本を読む人がいなくなっても、紙の本は残るでしょう。嫌な言い方になりますが、「紙の本を出版した」と言うことで、自分の業績を権威付けることができるからです。

 紙にあって、液晶モニタにはないもの。それは「権威」です。

 実際には、「紙に書いてあることだから安心」というのは幻想に過ぎません。

 しかし、この幻想は強力なので、ライターなら原稿料は同じでも「あくまで紙の媒体に書きたい」という方が多数派でしょう。その方が「実績」として編集者に訴求しやすく、「次の仕事」につなげやすいからです。

 これからの時代、おそらく紙媒体はこういう「権威付与」に特化する方が合理的でしょう。

 表現行為は、基本的にウェブサイトで行われるようになるけど、その中には「紙媒体への掲載実績」がある人とない人がいる。

 そして、前者の方が後者より、”権威ある表現者”ということになる。ただしそれは、自費出版であってはならない。つい吹き出してしまいそうですが、ブラック・ジョークではありません。

 この種の権威付けビジネスは、今後、ますます有望でしょう。なにしろ、人間の「自分のキャリアに箔をつけたい」という欲望にはキリがありません。資格然り、学歴然り、英会話然り、です。

 ちなみに、私の当面の目標は、文筆劇場の信頼性(記事のクオリティではない。現時点でも、内容的には『週刊朝日』よりは面白くて役に立つ記事を書いている自信がある)を、既存の紙の雑誌の水準まで持っていくことです。

山田宏哉記
 

 2010.7.23
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