ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2644)

 なぜ「基礎を身につけてから…」ではいけないのか

 「やるか、やらないか」を判断する際、「基礎を身につけてから…」とか「もっと経験を積んでから…」という言い方をする人がいます。

 一見、尤もに聞こえます。だからこそ、太刀が悪い。

 「基礎を身につけてから、やる」とか「もっと経験を積んでから、やる」というのは、「やらない」の婉曲表現です。

 使う本人にその意図はなくても、実態はそうなっています。極めて保身的な物言いです。

 だからこそ、自分に対しても、他人に対しても、禁句とすべき言葉のひとつです。

 例えば、あなたがコンビニで仕事を始めたとします。

 その店では、床が汚れていたり、商品の並べ方が悪かったりする。そのためにお客さんは不愉快そうにしている。新人のあなたは、改善案を思い付いた。

 そのとき、「自分はコンビニ店員として未熟だから、提案するのはまだ早い」とか「もっとコンビニ店員として経験を積んでから、改善の提案しよう」などという態度をとったらどうでしょうか。

 処世術としては、こういう態度の方が無難でしょう。

 しかし、これがプロフェッショナルの姿勢ではないことは明らかでしょう。きっと基礎を身につけるころには、そのコンビニは潰れています。

 提案・提言の価値や優劣は「誰が言ったか」とは関係ありません。

 当たり前のことです。むしろ、大抵の場合、若手の方がアイディアが鋭い。しかし、発言と人格の分離ができていないのは、日本の悲劇のひとつです。

 この場合の"コンビニ"を"オフィス"に変えると、日本のホワイトカラー全体に当てはまる問題になります。

 誰が見てもやった方がいいことであっても、わざわざ「やらない言い訳」や「責任回避」のためにエネルギーを振り絞っている。実に無駄な努力です。

 「基礎を身につけてからやる」とか「もっと経験を積んでからやる」というのは、その種の"傑作"のひとつです。時間が有限であり、何より貴重な資源であることを忘れている。

 これはなぜ、「日本のホワイトカラーの労働生産性が先進国中最低なのか」という話に、そのままつながります。

 経験の浅い新人であっても、「やった方がいいこと」と「やらない方がいいこと」の区別は、直感的につくと思います。

 そんな時は、「基礎を身につけてから…」とか「もっと経験を積んでから…」などと逃げない。改善のために全力を尽くす。

 生意気を言わせてもらえば、おそらく、そう覚悟することがプロフェッショナルへの第一歩なのです。

 山田宏哉記
 
 2010.7.27
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