ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2645)

 読書家のためのiPad批評

 今週の日曜日、ようやくiPad(16G、3Gモデル)を入手することができました。予約してから約1ヶ月かかっています。

 僕がiPadを購入した理由は、割とハッキリしています。本を読むためです。厳密には、自宅の本などを裁断・スキャンしてオンライン・ストレージに保管し、それを読むための端末としてiPadを考えていました。

 結論から言うと、これはやる価値がありました。

 iPadを持ち歩いていれば、電子書庫の中から、参照したい本や読みたい本にアクセスすることができます。ほぼ想像していた通り、これはとても便利です。

 特に、資料を参照しながら文章を書く人にとっては、案外、革命的なことになるのではないかと思っています。

 例えば、カフェにノートPCを持ち込んで論文を書く場合、現実的には参考文献を何十冊も持ち込むわけにもいきません。しかし、iPadが一枚あれば、何十冊の参考文献を参照しながら論文を書くことができます。

 特筆すべきは、"i文庫HD"というソフトウェアの秀逸さです。PDFを2枚表示で、日本語の縦書きの本を、紙の本で読むのと同じように読み進めることができます。



 極端な話、「PDFを閲覧するため」にiPadを買うという選択は十分に「あり」だと思います。

 ところで、ノートPCでPDFを読むのと、iPadでPDFを読むのでは、何が違うのか。単純に言えば、"姿勢からの解放"です。ノートPCの液晶モニタを見るためには、姿勢の制約が大きい。

 これだと、普段寝転がって本を読む人にとっては、"電子書籍反対"ということになります。「本を読む姿勢」というのは、あまり公に論じられることではありませんが、読書家ならその重要性を否定する人はいないと思います。

 iPadであれば、寝転がって本を読むのは、少々、きつい面もありますが、できないことはありません。いずれにせよ、リラックスした姿勢で閲覧することはできます。

 ネックとしては、やはり"重い"という点でしょう。ただし、私個人としては、これは許容範囲だと思います。

 ただし、iPadは"必需品"とは言えないでしょう。一種の贅沢品です。iPhone程、「なくてはならない」感はありません。

 今のところ、ウェブの更新や記事の執筆をiPadでやるつもりはないし、たぶん、やろうと思ってもできないでしょう。あくまで、情報を閲覧する端末という捉え方をするべきでしょう。

 山田宏哉記
 
 2010.7.28
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