ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2647)

 情報源の秘匿

 企業や官庁で"内部告発"が起きると、直ちに"犯人探し"が始まるのが実態のようです。

 そんなとき、「どれだけ情報提供者を守れるか」という点は、ジャーナリズムの課題としてよく話題になります。組織というのは、善悪にはかかわりなく、"裏切り者"に対しては、極めて容赦のない態度で臨みます。

 これが問題であることは、おそらく誰でも理解できると思います。

 僕が問題にしたいのは、ここまでシビアではないケースです。

 例えば、学校の教室で"いじめ"が行われている。それを見かねたA君が教師にそのことを連絡した。

 この時、教師の情報リテラシーが低いと朝の朝礼などでクラス全員に向かって、「A君から聞いたのですが、このクラスで"いじめ"が行われているそうですね。"いじめ"は絶対にいけません」などと言う羽目になります。

 こんなことをしたら、A君の立場がなくなり、むしろA君が"いじめ"の対象になることは容易に想像がつきます。

 教師の情報リテラシーがそれなりにある場合は、個別にいじめの主犯格のB君を呼び出して、話をするとすることになるでしょう。

 B君は誰が"密告"したのかしきりに詮索する。教師は「誰が先生に言ったんですか? A君ですか?」と問われた時、「それは言えない」と突っぱねる必要があります。

 これは、比較的容易でしょう。なぜなら、生徒よりも教師の方が、社会的な立場が高いからです。

 この立場が逆転して、例えば部下が上司から「誰に聞いたんだ」と問われた場合は、「申し訳ありませんが、誰に聞いたのかは言えません」と拒否するのがとたんに難しくなります。

 情報提供者が不利益を被る可能性があるケースは、日常生活のいたるところに転がっています。

 僕は、センシティヴな情報については、あまり「誰々から聞いた」と言わない方がいいように思います。これは職業的なジャーナリストに限った話ではなく、普通の人にも言える話です。

 例えば、特定の個人の病気の話などは、口外しないのが大原則です。但し、その一方で"病気のことを知っておいた方がよい関係者"がいるのも事実です。そんな時、教えてもらった側は、「誰から聞いたか」を言わないのがマナーだと思います。

 原則として、善意で自分に情報を教えてくれた人に対して迷惑をかけるのは避けたい。これは、善悪とはまた別次元のことです。

 山田宏哉記
 
 2010.7.31
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