ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2648)

 社会を変えるのか、「私」が変わるのか

 社会と「私」が何らかの齟齬を起こした時、「社会を変える」という人と「自分を変える」という人がいます。

 基本的には後者が多数派(高学歴者には前者が比較的多い)ですが、両方の要素をバランスよく持っている人は、少ないように思います。読書の世界でも、社会評論本と自己啓発本の読者は、かなりズレていると思います。

 結論は決まっています。両方の視点が必要です。

 地頭の良い高学歴者が「仕事で使えない」と言われがちなのは、要するに「自分を変えようしない」からだと僕は思います。

 頭の良い人は、仕事上の課題にも"制度設計"で環境を変えて対応しようとします。逆に個人の努力や根性をあまり評価しません。僕もこれが合理的だとは思いますが、気合勝負の旧来型サラリーマンから見ると、「根性が足りない=仕事ができない」ように見えると思います。

 ですので、地頭の悪い人が地頭の良い人に勝つための戦略としては、"自己啓発"を採用するのが合理的です。少しばかり知能が足りなくても、案外"気合勝負"で地頭の良い高学歴よりも高い成果が出るものです。

 もっとも、あえて自分で変わろうと思わなくても、人間は変わるものです。

 おそらく人間は、どのような環境にも適応できるように、思想や価値観や好みを、随時、微修正しながら生きています。一般に、この修正能力は女性の方が高いでしょう。これは、ある程度は避けられないことで、むしろ必要なことです。

 宗教団体の信者や独裁国家の国民を"無知蒙昧の輩"と決めつける人は、環境の力を甘く見ています。僕たちだって、どこかの国で3年も暮らせば、「将軍様、万歳」と言っているかもしれないのです。

 むしろ、"一貫した信念の持ち主"の方が要注意です。"一貫した信念の持ち主"と書くと聞こえはよいですが、それが単なる環境適応能力の欠如であることも少なくありません。

 僕自身、「社会を変える」という志向と「自分を変える」という志向のバランスが良いとは言えないと思います。

 ある時は、社会の側に振れるし、またある時は「私」の側に触れます。常に試行錯誤です。

 それでも経験上、この種の"ゆらぎ"があるのはとても大切なことで、世界と「私」のあいだに有機的なつながりを形成するためには、避けては通れない道なのです。

 山田宏哉記
 
 2010.7.31
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