ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2668)

 NHKスペシャル「15歳の志願兵」覚書

 NHKスペシャル「15歳の志願兵」(8/15放送)を視聴しました。実話を元にしたドラマということで、原案となったのは、江藤千秋 (著)『積乱雲の彼方に―愛知一中予科練総決起事件の記録』です。

 終戦記念日に放送ということもあって、さすがに良く出来ていました。そして、色々と考えさせられました。

   国家の都合によっては、戦死を美化する必要もあります。戦死を美化するのはエリートの仕事です。もちろん、実際に戦争で兵士として死ぬのは、頭の悪い貧乏人の仕事です。

 もちろん、古今東西、普通の人間が本気で「国家のために命を捧げます」などと思えるわけがありません。国家というのは、たかだか、近代に入ってから設計された虚構に過ぎません。

 但し、そういう言動を取らないと、自分の身に危険が及ぶ社会や時代は、突如として出現します。これが怖いところです。「戦争反対」でもしようものなら、非国民扱いされ、社会的に排除され、場合によっては暴行を受けて死に至る。

 作中でも描かれていましたが、なぜ、本当は戦争に行きたくない子供たちが、なぜ"総決起"などという無謀なことをしたのか。

 あの時代、個人として自分を守るためには、どうしても「勇ましい態度」「勇ましい発言」をする必要があった。この点は絶対に忘れてはならない点です。嘘でもいいから、「お国のために死にます」と口から出まかせを吐いていた方が、上手く世の中を渡れたのです。

 みんなで「国のために命を捨てよ」と大合唱すれば、中には本気で信じる人も出てくるでしょう。

 逆に、冷静に物事を分析する人には、鉄拳制裁や社会的制裁が下ったりました。要するに、"チキンレース"だったのです。

 さらに言うならば、戦争の時局で、「自発的志願」か「強制」かを議論するのはナンセンスだと僕は思います。それは、「暗黙の強制」とでも呼ぶべきもので、同調圧力の強い日本社会で、これから逃れるのは難しい。神風特攻隊も「暗黙の強制」だったと僕は結論付けています。

 個人として日本社会で生き残るためには、確かに「戦争賛成、一億総玉砕」を主張するのが合理的でした。しかし、結局はそれが"合成の誤謬"となって、あの"決定的敗北"へとつながっていったのです。

 山田宏哉記



 2010.8.21
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