ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2670)

 経済不合理性の狂気/『ダークナイト』覚書

 先日、映画『ダークナイト』を観賞しました。映画『インセプション』があまりに素晴らしかったので、クリストファー・ノーラン監督の映画作品は遡及的に観ることにしました。

 日本語表記の問題ですが、まず「ダークナイト」というカタカナ表記は、誤解を招く可能性が高い。原題はThe Dark Knight。つまりこれは「暗黒の夜」dark nightではなく、「暗黒の騎士」Dark nightなのです。

 細かいようですが、タイトルの解釈を誤る可能性が高い表記をするのは、さすがにあんまりではないでしょうか。

 中身について言えば、やはりヒース・レジャーが扮するジョーカーの存在が圧巻です。完全に主役のバットマンを食ってしまっています。ヒース・レジャーは『ダークナイト』の完成を待たずに急逝していますが、まさに鬼気迫る演技と呼ぶに相応しいものです。

 さて、映画を観て考えさせられたのは、"経済不合理性の狂気"ということです。

 ジョーカーは何もカネ目当てに犯罪行為をするわけではありません。むしろ、犯罪行為そのものを楽しんでいます。僕たちは、ここに空恐ろしさを感じることになります。

 実は「カネ目当ての犯罪者」というのは、御しやすい。相手が何を考えているのか、理解できるからです。身代金目的の誘拐や、銀行強盗というのは、典型的な「カネ目当ての犯罪」です。

 僕たちはこの種の犯罪を、ある程度「予測として折り込み済」で、さほど深刻なショックを受けることがない。

 逆に、「カネ目当てではない犯罪」に対しては、深刻なショックを受けます。地下鉄にサリンを散布したり、通りすがりの人を無差別に殺害したりするのは、「カネ目当て」ではないことはあきらかです。

 ここで一つの疑問が生まれます。僕たちは、実は「人の心はカネで買える」と言う人を表面的には批判しながら、本当は「カネで説明できる世界」を望んでいるのではないか、ということです。

 自分が理解できるように世界を矮小化して捉えている。「世の中、所詮カネだ」とシニカルな態度を取る振りをしながら、その実「カネで説明できない世界」から眼を反らしているのではないか。

 世界が経済合理性で回ってくれたら、知的にはどんなに楽でしょうか。

 しかし、幸か不幸か、世界は"経済不合理性の狂気"に満ち溢れているのです。


 山田宏哉記



 2010.8.22
 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ