ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2689)

 佐々木俊尚(著)『2011年 新聞・テレビ消滅』覚書

 佐々木俊尚(著)『2011年 新聞・テレビ消滅』(文春新書)を読了しました。

 本書では、新聞をはじめとするマスメディアをコンテンツ、コンテナ、コンベヤの3層に分けて考察しています。

 例えば、新聞であれば、「コンテンツ=新聞記事 コンテナ=新聞紙面 コンベヤ=販売店」という具合です。つまり、既存のマスメディアの特色は、内容と容器と物流が垂直統合されている点にあります。しかも当事者はそのことを意識していません。

 新聞が危機に瀕しているのは、この垂直統合モデルが崩壊したからだ、というのが本書のスタンスです。実際、その通りだと思います。

 確かに新聞社は相変わらず記事を生産していますが、もはや「読者がその記事をどう読むか」という点をコントロールできなくなっています。

 「最近の若者は新聞を読まない」というのは不正確な言い方で、ウェブで新聞記事は読まれているのです。正確な言い方をすれば、「家で紙の新聞を定期購読していない」となります。

 僕自身、「日経テレコン」等で新聞を全文検索できる環境にあるので、特に紙の新聞は必要としていません。環境面を考慮しても、新聞は電子媒体にした方が望ましいということになります。

 もっと露骨な話をすれば、学校教師が生徒に「毎日、新聞を読みなさい」と教育するのとは裏腹に、多くの実務家は本音では「新聞を読むのは暇人である」と思っています。

 新聞記事の劣化も激しく、一面に世論調査の結果を持ってくるような体たらくです。

 僕自身、必要な新聞記事は後からデータベースを検索して読むようになり、リアルタイムでニュースを追うことはしなくなりました。

 1日単位で生成される報道では、重要度の見極めが至難です。新聞社自身のニュースバリューの判断も怪しいものです。

 実のところ、「週刊誌や月刊誌、新刊書で話題になったテーマを、事後的に新聞記事で検索して読む」という習慣に切り替えた方が、情報収集の効率が良く、大局を間違わないように思います。

 もちろん高齢者を中心に、しばらくは紙の新聞を読む人がいるでしょう。但し、その行きつく先が「緩慢な死」であることを忘れてはならないでしょう。

 そして僕たちがフォーカスするべきは「新聞の次のメディア」であることは、改めて言うまでもありません。

 
山田宏哉記

 【関連記事】
 
2011年の横浜 新聞博物館探訪記 (2011.3.6)



 2010.9.14(2011.3.6一部修正)
 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ