ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2690)

 吉野家の店員論

 大学時代、吉野家で販売開始した当初の牛鍋定食(?)にはお世話になったものです。牛丼が消えていた頃の話です。味噌汁も標準でついていて、コストパフォーマンスが高かったものです。

 当時から既に、吉野家の店員は外国人が務める場合が多くなっていました。

 さて、吉野家の店員をこなす為には、相当に高度な技能が要求されることは間違いありません。客の注文をさばき、牛丼を作り、レジで会計処理をする。しかも、ミスはご法度です。私では能力的に務まらないでしょう。

 ただし問題は、吉野家の店員が将来的に有望な職種であるとは思えないことです。構造的にいつかは消えてなくなるであろうことも、予想できます。

 僕たちはつい「難易度の高い仕事ほど報酬が高い」と考えてしまいがちです。ではなぜ、吉野家の店員は高い能力を要求される割に、高額報酬ではないのか。

 簡単に言えば、店員のサービスの付加価値が高くないからです。吉野家の牛丼は誰が作っても同じような味で、店員は牛丼に対する価格決定権も持ちません。

 つまり、報酬を大きく規定するのは「利益への貢献度」であって、「難易度」や「能力」ではないのです。

 単純な話、吉野家の店員がお金持ちになるために、自己啓発で「笑顔の練習」や「レジ打ち能力の向上」を始めたらどうでしょうか。誰しも直感的に、的外れな努力だと思うでしょう。

 しかし、これを笑えないビジネスパーソンは結構いるものです。自分が置かれた状況を客観視できないことの悲劇です。

 結局のところ、吉野家でアルバイト店員をすることの意義は、自ら苦労を買って出る「人間修業」という点にあるのでしょう。少なくとも、お金のために吉野家の店員をするというのは賢明なことではありません。  


 山田宏哉記



 2010.9.15
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