ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2695)

 人間は「まず結論ありき」で考える

 学生時代、某雑誌の編集長が「"勘"で決めている」と言っていたのを聞いて驚いたものです。しかし、今ならこれが誠意ある姿勢だと理解できます。

 よく「まず結論ありき」の姿勢が批判の対象になります。

 例えば、「オウム真理教の教祖は死刑」とか「毒物カレー事件の被告が有罪」というのは、純粋に考えれば疑問符がつく判決です。しかし、判決は証拠や法律論とは関係なく、予め「結論ありき」で決まっていました。

 研究者にしても、「まず直感的な"仮説"があって、それを学問的な手続きで検証している」というのが実態に近いと思います。

   シニカルに言えば、人間の思考プロセスはそういうものだ」と割り切った方がいいでしょう。

 僕自身、ほとんどのことを直感的な好き嫌いで決めています。他人に説明する際は、後付けの理由を前に持ってきているだけのことです。

 直感の背景には膨大な暗黙知があるので、感情で物事を決めれば、大きく間違うことは少ないものです。明確な理由を説明できなくても、「何となく、信用できない人」とは距離を置いた方がいいのは、誰でも日常的に体験していることでしょう。

 また、人間の思考プロセスが「まず結論ありき」である以上、「論理的に考えること」より「直感(勘)の精度を上げる」ことに注力する方が生産的であることは明らかです。

 では、どうすればいいのか。

 僕は「直感(勘)の精度を上げる」ためには、「他人の経験を記憶する」という手法が有効であると思います。良質の映画作品やノンフィクション、文学作品、ドキュメンタリーを観賞したり、歴史を勉強することは、直感の精度を上げるよいテキストになります。

 「論理的に考える」ためには大して知識は必要ありませんが、「直感(勘)の精度を上げる」ためには膨大な知識の蓄積が必要です。文系の大学受験における数学選択と世界史選択のようなものです。

 つまり、"直感"はコツコツと勉強するタイプの人が得意とする分野です。一般のイメージとは逆に、読書家や教養人は「論理」よりも「直感」で勝負した方が圧倒的に有利なのです。

 以上、僕が「好き嫌いで物事を判断する理由」です。そして、これはもちろん"後付けの理由"によるものです。


 山田宏哉記



 2010.9.20
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