ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2699)

  2010年の小田原 "時間が止まった街"への探訪記

  2010年9月24日から25日にかけて、神奈川県の小田原市を探訪してきた。小田原は東京駅から約80キロの距離にある。

 新幹線を使えば約30〜40分で東京まで行けるため、首都圏の通勤圏内ではある。近いようにも思えるが、在来線では1時間30分ほどかかる。日常的に往来する距離としては少し厳しい。

 今回、幸運にもたまたま小田原の近くに行く機会があったため、泊りがけで小田原を探訪することにした。

【写真1】小田原市のシンボル・小田原城。


【写真2】小田原城天守閣より。伊豆半島方面。


 
小田原のシンボルは何と言っても、小田原城である。その天守閣には、2002年の時点で既に14年のべ2,000万人以上が訪問していると説明されていた。

 小田原城は小田原城址公園内にあり、この公園には小田原城の歴史を解説する資料館や郷土資料館もある。また、子供向けに遊園地や動物園もある。

【写真3】報徳二宮神社。


【写真4】二宮尊徳翁像。


 小田原城址公園内にあるもうひとつの大きな観光名所は、報徳二宮神社である。二宮尊徳の功績を讃えてつくられたものだ。

 二宮尊徳の「経済なき道徳は戯言であり 道徳なき経済は犯罪である」という言は時代を超えた訴求力を持っている。ちなみに身長182センチ、体重94キロくらいだったようだ。

 
二宮尊徳に関する詳しい資料は、神社のすぐ隣にある報徳博物館で解説されている。

【写真5】小田原文学館入口。


【写真5】小田原文学館の建物。


 小田原城址公園から歩いて10分くらいの距離のところに、小田原文学館がある。人文系の方にはお勧めできる場所だ。私が探訪した時は、他にお客さんはいなかった。

 個人的には北村透谷関連の史料を見られたのが収穫だった。透谷は日本初の恋愛至上主義者とも言われるが、26歳で自殺した。おそらくは「純度」が高過ぎて、世の中の汚さに耐えられなかったからではないかと思う。

 他にも小田原を愛した著名人や文化人は多く、小田原文学館の館長である三津木國輝氏によれば、伊藤博文、山県有朋、益田孝、谷崎潤一郎、坂口安吾、室田義文、田中光顕、北原白秋、長谷川如是閑、徳永慶喜、川崎長太郎、尾崎一雄などがいるようだ。

【写真6】御幸の浜。明治天皇が訪れたことに因んでこの名がついた。


【写真7】小田原漁港。


 小田原と言えば、「海」の街でもある。御幸の浜では十数人が打ち寄せる波を眺めたり、カメラに写真や映像を収めたりしていた。波が高くて迫力があった。

 私も岬のように海に突き出した場所で波の撮影をした。すると、突如として巨大な波が到来。とっさの判断で、撮影を中断して走って逃げ出すという一幕があった。振り返ると私がいた場所を波が流れていった。

 台風の時などに興味本位で海を見に行き、波にさらわれて亡くなる人がいるのがわかるような気がした。海岸では、安全だと思う場所に突如として大きな波が押し寄せることがある。

【写真8】石垣山一夜城歴史公園入口。


【写真9】石垣山一夜城歴史公園。今に残る石垣。


【写真9】石垣山一夜城歴史公園から臨む小田原市街地。


 
最後に探訪したのは、石垣山一夜城歴史公園だった。

 豊臣秀吉が小田原攻めのときに築いた城跡。建物等はもう残っていないが、石垣や井戸の跡は残っている。物見台からは小田原市街地を一望できる。

 特筆すべきはアクセスが超不便だということだ。小田原城から約3キロの距離であり、公式案内では早川駅から徒歩40分(!)となっている。しかし、歩くのは急勾配の山道であり、相当の体力が要求される。

 昔の人だって、好き好んでこんな場所には来ないと思う。だからこそ、気付かれなかったのかもしれない。実際に現地に行ってみると、こういう思わぬ発見がある。

【写真11】宿泊したビジネスホテル。一泊¥5,700。


 今回、ほぼ丸1日かけて、小田原を歩き回って見えてきたものは多かった。そして「時間が止まった街」だという印象を受けた。5年後も10年後も、きっと小田原のシンボルは小田原城だろう。

 小田原を愛した文学者が多くいるように、案外、小田原在住が合っている人は結構いると思う。地理的な制約を受けない職業の人ならば尚更だ。

 何せ、小田原には歴史と海がある

 山田宏哉記



 2010.9.26
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