ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2703)

 NHK・ETV特集「ハーバード白熱教室@東京大学」覚書

 NHKのETV特集「ハーバード白熱教室@東京大学」(9月26日放送)を視聴しました。マイケル・サンデルの政治哲学講義の日本出張版です。NHKの依頼で実現したようです。

 一番印象的だったのは、東大の学生たちが堂々と自分の意見を英語で話していたことです。「日本人は英語やディスカッションが苦手」というのは、もはやある世代から上を指してのことなのかもしれません。

 日本でもある世代から下は「英語で話せて当然」になるかもしれません。いつの間にか「PCを使えて当たり前」になったようにです。

 番組で印象的だった議題に私なりに回答してみたいと思います。

1.イチローの年俸が1800万ドル、オバマ大統領の年俸が40万ドル、教師の平均年収が5万ドルなのは公平か。

2.多額の寄付をするお金持ちの子弟を東京大学に入学させることは許されるか。

3.戦争責任は世代を超えて受け継がれるか。

項番1。まず、仕事の社会的重要性と報酬額はリンクしないし、むしろしない方が望ましいと思います。従って「公平」。

 行動経済学では「報酬とインセンティブ」が一大テーマになっています。単純な話で恐縮ですが、基本的にボランティアにはカネを払わない方がいいものです。金銭的な報酬によって内発的な動機付けが損なわれてしまうからです。

 実際、スティーブ・ジョブズやエリック・シュミットの給与所得は年1ドルだったりします。「カネのために働いているのではない」という矜持を持つためには、ある程度、報酬を抑える方が望ましいでしょう。

 日本の公務員は、その名に反して、自分の生活のことしか考えていない場合が多い。それはやはり、彼らの報酬が高すぎるからです。

項番2。結論から言えば「許される」。大学がどのような学生を入学させるかは、その大学が決めればいいことです。「一芸に秀でた学生」が欲しい大学もあれば、「親に経済力がある学生」を欲しい大学もある。それで問題ありません。

 番組ではほとんどの人が反対でしたが、「本当のこと」を言った人はいなかった。平等社会・日本では、学歴が「身分」として機能しています。

 日本人は、暗黙の国民的合意として、出身大学で人を差別することに「賛成」なのです。人間は、どうしてもそういう選別のシグナルを必要とする。しかし、金持ちを優先的に入学させると、「学歴の権威」が揺らぐことになります。

 どうもみんな、本音ではそれ故に反対しているように見えました。

 但し大学に「資金が足りない」というのは重要問題で、博士号を取った優秀な人材が、定職につけなくて貧困に喘いでいるという現状があります。大学に10億円寄付があれば、専任講師を5人くらい終身雇用で採用できるでしょう。

 案外、大学はお金持ちの子弟を優先的に入学させた方がいいのではないかと思います。

項番3。私見では、責任には「法的な責任」と「道義的責任」があります。戦後生まれの世代は、第二次大戦中の出来事に対して、道義的な責任がある一方、法的な責任は負っていないでしょう。

 現在の日本政府は旧日本軍の行いを公式に謝罪する必要はないし、オバマ大統領は公式に原爆投下を謝罪する必要もありません。但し、「前の世代のやったことだから、自分には関係ない」という態度を取ることは、「人間としてどうか」という話です。

 これは「親が罪を犯した場合、子供に責任はあるか」という問題でもあります。これも「道義的な責任はあるが、法的な責任はない」ということでいいでしょう。

 但し、「責任はあくまで自分の意思で決定した事柄に対してのみ負う」というのは、現実社会では得てして通用しない。社会人なら「前任者の不始末です」では済まない事は、誰でもわかっているはずです。

 もっとも、自分の美学としては、犯罪者の子供に親の責任を被せるのは何としてでも避けるべきだと思います。その意味で、オウム真理教の教祖の子供たちに対するマスメディアの報道や受入反対の住民運動をする人々には、失望させられました。あれは、本当に醜い人間の一面でした。

 以上、私自身、改めて考えさせられる内容でした。やはり、良い番組だったのだと思います。

 山田宏哉記

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 2010.9.27  記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ