ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2710)

 NHKスペシャル「"核"を求めた日本」要約

 NHKスペシャル「スクープドキュメント "核"を求めた日本 〜被爆国の知られざる真実〜」(10/3放送)の要約を以下にまとめます。

 2010年3月、ひとりの外交官が亡くなった。元外務事務次官の村田良平氏。かつて政府内で核兵器の保有を模索していた事実を初めて明かした人物だ。

 村田氏は、佐藤栄作政権下で外務省の調査課長だった。

 1964年、中国が核実験を行った。そして、アジアで初めての核保有国となった。これに焦ったのが日本だった。

 中国の核実験から3ヶ月後、佐藤首相はジョンソン大統領と会談する。この日米首脳会議のアメリカ側の議事録で、佐藤首相の以下の発言が記録されている。

「個人的には中国が核兵器を持つならば日本も核兵器を持つべきだと考える」。

 アメリカ側は日本に核保有を思いとどまるように伝えた。当時の核保有国は、米、英、仏、ソ連、中国の五ヶ国。NTP核拡散防止条約により、アメリカは経済発展が著しい日本や西ドイツが核兵器を持たないように求めた。

 村田良平氏の言葉を借りるならば「なんとか核兵器を持てるきっかけをつくるように努力すべきだと思いました。(こういう話は)全部、裏取引。(西ドイツと)意見交換をやって、なんとかこれ(5大国による核兵器の独占的支配)を覆す方法がないだろうか、と」。

 そこで日本が秘密裏に接近したのが西ドイツだった。協議の申し入れは日本側から行った。村田氏の秘密協議の相手は、西ドイツ外務省の政策企画部長(当時)のエゴン・バール氏だった。外交政策を一手に担っており、後に東西ドイツの統合でも重要な役割を果たした人物だ。

 番組ではエゴン・バール氏はNHKの取材に対して「日本の外務省から極秘の会合を行いたいと申し入れがありました。第二次世界大戦の同盟国だった日本とドイツの初めての協議は国際的にも関心を集めかねないため極秘に行われたのです」と証言している。

 日本と西ドイツの秘密協議は人目を避けて、箱根の旅館で行われた。

 日本側の出席者は、鈴木孝(国際資料部長)、岡崎久彦(分析課長)、村田良平(調査課長)。西ドイツ側は、エゴン・バール(政策企画部長)、ペア・フィッシャー(参事官)、クラウス・ブレヒ(参事官)。

 そして、以下のような発言がなされた。

日本側発言「日本と西ドイツはアメリカからもっと自立する道を探るべきだ。両国が連携することが超大国になるために重要だ」。

西ドイツ側発言「日本と西ドイツの置かれている状況は違いすぎる。冷戦で東と西に分けられているドイツでは、こうした問題について自分たちで決定はできない」。

日本側発言「10年から15年のうちに核保有を検討せざるを得ない『非常事態』が起こると考えている。中国が核を持つことをアメリカが認めたり、インドが核保有国となるような事態だ」。

日本側発言「日本は憲法9条があることで、平和利用の名の下に、誰にも止められることなく原子力の技術を手にした。日本は核弾頭を作るための核物資を抽出することができる」。

 エゴン・バール氏はその夜「大変なことだ」と激しく動揺したという。当時のブラウン首相への報告書には「日本が超大国を目指し、核弾頭を持つこともあり得る」と記した。

 では、日本に核兵器を作る能力はあったのか。

 日本政府は核兵器を作る技術を調査していた。その責任者だったのが、元内閣調査室主幹の志垣民郎氏。濃縮ウランを確保する方法や弾頭を作る技術などを調査研究し、その成果は「日本の核政策に関する基礎的研究」という報告書にまとめられた。

 その結論は「有効な核戦力を持つには多くの困難がある」というものだった。周辺国との関係悪化や国内の反核感情の強さが障害となった。「できなくはないけど、やるのは大変」だったようだ。

 佐藤栄作氏の側近中の側近だった楠田實氏の資料によると、1967年、佐藤栄作首相がジョンソン大統領と会談した際、佐藤首相はジョンソン大統領に「わが国に対するあらゆる攻撃、核攻撃に対しても日本を守るという約束を期待したい」と迫った。

 ジョンソン大統領はこれに対して「私が大統領である限り、われわれの間の約束は守る」と答えた。

 ジョンソン大統領との約束を踏まえて、佐藤首相は当時の米国国務長官に対して「日本の安全保障のために核を持たないことはハッキリ決心しているのだから、米国の傘の下で安全を確保する」と伝達した。

 この2ヶ月後、佐藤首相は有名な「非核三原則」を宣言し、それは1974年のノーベル平和賞の受賞理由にもなった。

 日本は決して"無垢な被爆国"ではない。むしろ、核武装を望んでいたのだ。おそらくこれは、平和国家・日本の正統性とアイデンティティを根本から揺さぶる事実だろう。

 
 山田宏哉記



 2010.10.5
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