ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2714)

 貧者の連帯論

 内田樹(著)『街場の教育論』(ミシマ社)を読了しました。本書の中にハッとさせられる記述がありましたので、まずは引用します。

 [引用開始]

 左翼の運動は社会理論としては欠陥の多いものでしたけれど、「弱い者、貧しい者の連帯」を根本的な組織原理としていたことは正しいと私は思います。(略)

 [1970年代までは]共同体を形成する能力、組織を作り上げる能力、他者と共働する能力は子どもたちが最優先で開発すべき人間的資質だった。(前掲書,P224)

 [引用終了]


 若者同士が何か連帯して、ムーブメントとして展開する。僕自身は生来、群れて行動するのが好きではなかったため、その種の活動に肩入れすることはありませんでした。

 今の時代は、おそらく「誰かと連帯して、活動する」という若者の方が少数派になってしまったような気がします。秋葉原で無差別殺人を犯した彼に足りなかったのは、連帯できる仲間ではないかと思います。

 今、本当に必要なのは「みんなで一緒に何かをやる」という文化であり、共同体なのかもしれません。仲間を蹴落とすのではなく、仲間に手を差し出す。

 時代の風向きも変わりました。「強い個人」が理想とされる時代から、「連帯によるコミュニティ」が理想とされる時代への転換です。

 もちろん、企業は利益を追求する機能集団であり、激しい競争の世界であり、そこから脱落する人はどうしても出てきます。

 一般にアメリカは競争社会と言われますが、NPOが最も発達しているのもアメリカです。

 そこからドロップアウトしたにも、生きがいと生活を保障するコミュニティは、やはり必要です。「助け合う」という精神は、昔ながらの日本人の美徳です。

 僕たちはもう、職を失って路頭に迷う人に対して、「自業自得」とか「自己責任」と突き放すような態度を取るべきではないと思います。「明日は我が身」かもしれないのだし、日本はもう、経済的に豊かとも言えません。

 僕自身、変わりつつあります。最近は、個人の能力を上げることと並んで、集団・組織全体のパフォーマンスを上げるように力を入れるようになりました。

 打ち合わせの席では、自分の意見を言うことよりも、発言の少ない参加者に話題を振ったりすることを意識的にしています。

 もちろん、集団主義を志向するわけではない。単純な個人主義と集団主義の二項対立を超えて、もっと有意義な姿勢があるのではないかと思うのです。

山田宏哉記

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 2010.10.11 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ