ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2735)

 才能の正体は"気付き"である

 ビジネスパーソンの実力を形容する言葉として、よく「できる、できない」が使われます。

 思うに、「できる、できない」の間にある断絶は、既に色々な上達ノウハウが蓄積されてきているので、意欲さえあればできるようになることが多いものです。

 できないことがあるなら、努力すればいい。これは実は簡単なことです。もちろん、努力しても、できない場合もある。それを考慮に入れた上でも、やはり簡単なのです。

 個人の実力差を考える上で、より根本的かつ決定的なのは「気付く、気付かない」だと僕は考えています。

 なぜなら、「気付く、気付かない」の間にある断絶には、対処のしようがないことも多いからです。結局は、個人の感受性の問題に帰着するからです。

 僕は、現代人は「気付く」ことの重要性を過小評価し過ぎていると思います。だからこそ、この際言っておきたい。

 才能の正体は、実は「気付く」ということです。

 凡人はよく「才能は先天的」とか「努力する能力が才能」とか無闇に決めつけたがるが、それは違います。「 気付き」によって、「努力」にドライヴがかかる。これが才能の構造なのです。

 ですので、「気付かない」とは「才能がない」と同義です。

 「気付く」という能力の比重は、ビジネスの世界でいえば、経営に近くなるほど高くなります。

 新入社員にとっては「仕事ができる、できない」が重要ですが、マネジャーの実力を「仕事ができる、できない」で推し量るのには無理があります。やはり、経営に近くなるほど「問題に気付く、気付かない」の部分が重要になります。

 ウェブに記事を書き続けるにも「気付き」が決定的に重要です。「気付き」というのはオリジナルの知見でもありますが、おそらく、それがなければ「書く」というモチベーションを維持することはできません。僕が考える「文才」とはこういうものです。

 時代状況としても、「"できる"より"気付く"」「"努力"よりも"才能"」がモノを言うように変化しつつあると感じます。

 では、どうすれば有益な「気付き」を起こす事ができるのか。

 「他人の興味関心に付き合う」とか「気になったことを記録に残しておく」など、断片的なノウハウには気付いていますが、まだ体系的な知見を得るには至っていません。

 ちなみに、才能の話をすると、必ず「ではお前には才能があるのか?」という無言のツッコミを受けるものです。果たして私には才能があるのでしょうか。答えは当然「イエス」です。

山田宏哉記

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 2010.11.2 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ