ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2743)

 僕が映像要約をする理由

 日課として、NHKの重要番組をテキストベースで要約し、記事としてウェブに掲載するようにしています(ちなみに映像をテキストベースに変換し、要約しているので、著作権法に照らしても合法です)。

 その上で気付いたのは、NHKの重要番組をテキストベースで要約することには、かなりの需要があるということです。

 忙しいビジネスパーソンには、TVを見ている暇はないものですが、それでも話題になったNHKの番組の概要は押さえておいた方が良いものです。ここにテキストベースの要約が出る幕があります。

 NHKのドキュメンタリー番組でも、本当に重要な箇所はその一部であり、そういう証言や調査結果、VTRを押さえておけば、さほど問題はありません。例えば、スタジオに呼ばれたコメンテーターの発言箇所などは、重要度が低い「つなぎ」であることが大半です。

 海外に住んでいたり、TVを持っていない場合にも、NHKの番組へのアクセスが難しいものです(不可能ではない)。映像を消費するためには、放送時間そのものが必要だが、文字ベースの要約ならば5分で読めます。

 また、文章能力の関係上、これができる人も限られています。テープ起こしとは、次元の違う難易度です。簡単だと思う人は、実際に自分でやってみるとよいでしょう。僕自身、「できている」というのは憚られます。

 さて、映像要約をやる時に大切になるのは、「エゴを抑える」という姿勢だと思います。自分の意見や考えを差し挟まず、素材そのものの良さを活かす、という姿勢です。

 ウェブ上でNHKの番組が言及されることは結構ありますが、単なる「個人的感想」のレベルに留まっている場合が大半です。だから、番組を観ていない人にはどのような放送がなされたのか、わからない。

 ある主題となる映像を選び、その番組の中でもある部分を重要だと判断する。その時点で既に、自分の意見なり価値観が確実に反映されています。だから本来、自分が事実だと考えることを記述するだけで充分なのです。

 これ以上、「感動した」とか「これは気に食わない」といった個人的見解を付け加えるのはくどい。

 あるテーマを選び、事実と思われる事柄を記述する。その時点で既に、書き手の意見や価値観が深く折り込まれています。記述者は、それを自覚するべきです。

 だから、「客観中立」ということはあり得ない。倫理が必要とされるとしたら「事実の記述者は、編集権を持っているのだから、記述に個人的見解を混ぜてはならない」ということでしょう。

 村上春樹が翻訳をしているのは、文章を磨く上で、「素材を活かす」という意味合いが大きいと思います。予め素材が決まっている以上、そこには表現上の制約があり、逸脱は許されません。

 敢えて制約を課し、その範囲でベストを尽くすことで、技法上のブレイクスルーが生まれるのだと思います。身近な例を上げれば、ボクシングは攻撃方法を限定することで、サッカーは手を用いないことで、それぞれ技術を発達させました。

 文章にしても、「好きなことを、自由に書く」だけでは上達に限界がある。最近、ようやくことに気付きました。僕にとって、これは極めて重要な気付きです。

 また、翻訳にしても、映像要約にしてもそうですが、初めからオリジナルに勝てないことは約束されています。翻訳作品が原典より優れているということはあり得ない。それを承知した上で、「よりマシな負け方」を追求するものです。

 これには、自分で何かを創作するのとは全く違う種類の能力が要求されるわけです。しかしだからこそ、自分の技能を鍛え上げるために、やる価値があるのです。

 山田宏哉記

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 2010.11.7 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ