ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2752)

 塩野七生(著)『日本人へ リーダー篇』を読む

 塩野七生(著)『日本人へ リーダー篇』を読了しました。

 塩野七生さんは、僕が最も尊敬している作家のひとりです。人間への目線と言語感覚の冴えが群を抜いていると思います。本書『日本人へ リーダー篇』もまた、知恵の宝庫でした。

 僕が本書の「特に読みどころ」だと考える箇所を以下に3ヶ所、紹介します。

 [引用開始]

 職業には貴賤はないと信ずる私だが、職務の果たし方には貴賤の別は厳としてある、とは思っている。(P58)

 [引用終了]


 卓見でしょう。僕は全面的に支持します。

 元々は、イラクでのイタリア軍駐屯地への自爆テロに関する文脈です・イタリア側の死者を「戦死者」と書くか、「犠牲者」と書くか。

 塩野さんは、イタリアのメディアは例外なく「戦死者」と表記したのに、日本のメディアは例外なく「犠牲者」と表記したことを問題にしています。「死を覚悟して戦地に赴いた軍人を"犠牲者"と呼ぶのは失礼ではないか」という話です。

 自分の生命を賭してでも職務を果たす人がいる一方、なるべく怠けて給料だけは頂戴しようとする人がいる。やはりそれは、"貴賎"の問題だと思います。

 [引用開始]

 [ローマ帝国末期]地位や権力や財力を持っている人は危険が迫るやいつでもどこにでも逃げられたのに対して、地位もなく権力もなく資力もなかった庶民は、そこに留まるしかなく、地中に埋めたナベ・カマを掘り出すことさえもなく[蛮族に]殺されていったのである。

 このことで私は、個人でできることとできないことのちがいについて、考えずにはいられなかった。そして政治とは、個人ではできない事項を代わって行うことではないか、と思い始めたのである。

(中略)

 会社でも、破産すれば最も被害をこうむるのは、外資でもどこでも行き先に不足しない人ではなく、会社がつぶれようものなら行き場のない人々であろう。ならば、会社の経営状態に誰よりも関心をもち、その向上を誰よりも願うのは、幹部社員ではなくて一般社員であるはずだ。国家も、それと同じなのである。(P118〜P120)

 [引用終了]


 これもまた、非常に重い指摘です。そして、あまりに身も蓋もない話です。

 「逃げる」という選択肢が用意されているのは、強者に限定される。確かに、その通りです。

 企業で働くビジネスパーソンであっても、いざとなった時、転職したり、独立するという選択ができるのは、優秀な人に限られます。大半の人は、勤務先の会社が倒産でもすれば、大打撃を受けるでしょう。

 日本という国そのものが衰退局面を迎える今、「国外脱出」を画策しているのもまた、強者に限定された話です。大半の人は、この国と運命を共にするしかないでしょう。

 こういう構造は、ローマ時代から変わっていない。

 だからこそ、「政治」が必要とされる。「逃げることができない人々」に一定の安全を保障するのは、政治の責務と言っても良いでしょう。
 
 [引用開始]

 フリーターは意欲に欠けるという人がいるが、社会的に認められることなくして、どうやって意欲的になれるだろう。私だって、読まれないとわかれば書く意欲も失せる。(P213)

 [引用終了]


 確かにその通りです。人間が意欲的であるためには「他者からのフィードバック」がどうしても必要です。

 相手の反応がないのに、電話で喋り続ける人はいないでしょう。現状では、フリーターとして働くということは、相手がいない電話に向かって話すことに似ています。

 誰であれ、社会的に無視されたり、不遇であれば、いじけたりもします。

 これは本人の性格や倫理観の問題というよりは、政治経済の問題です。僕は、精神的な病気の原因の大半は「他者から認められていない」という一点にあると考えています。

 実は、他にも紹介したい箇所が色々とあるのですが、さすがに収集がつかなくなるので、今回は割愛致します。いずれにせよ、塩野七生さんと同時代を生きることができて、本当に嬉しく思います。

 山田宏哉記

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 2010.11.12 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ