ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2753)

 2010年の石川島資料館探訪記

 昨日、東京・月島にある石川島史料館を探訪してきました。

 ここはかつて、IHIの佃工場があった場所です。1979年に閉鎖されることになった佃工場の功績を記念して作られました。

 今では、三井不動産がデベロッパーとなり、タワーマンションがひしめく"リバーシティ21"が作られ、佃公園の敷地になっています。

【写真1】IHI資料館。

 IHIの歴史は古く、1853年に水戸藩の徳川斉昭の手によって創設された石川島造船所に始まります。以来、日本初の民営造船所として、造船を中核事業として、日本の重工業の発展に貢献してきた。

 館内はこじんまりとして、お客さんもほとんどいませんでしたが、IHIの軌跡である製品群の模型や写真を拝見することができました。造船をはじめ、偵察機やハンマーヘッドクレーン、トラックや蒸気機関車に至るまで、その事業分野は多岐にわたります。

 日本初のジェットエンジンを開発・生産したのも、IHIです。確かにIHIが日本の近代化と発展に貢献してきたということが理解できました。

 IHIのブラジル進出事業である「イシブラス」35年の軌跡の映像も見られるようになっていました。僕の探訪時、ちょうどLNGの歴史を調べているという女性がいました。

 日経会社情報等で調べると、現在のIHIが中核にしている事業は、1.エネルギー・プラント事業、2.航空・宇宙事業、3.物流・鉄構事業 が3本柱になっていることがわかります。

 おそらくあまり知られていませんが、「はやぶさ」の耐熱カプセルを製造していたのは、IHIグループのIHIエアロスペースです。

 IHIが地味な企業ではあることは否定できませんが、「縁の下の力持ち」であることは間違いありません。

 創業時の船舶海洋事業からは、佃工場の閉鎖が示すように、緩やかに撤退しているようにみえる。

 その例証として、「日本経済新聞」では、IHIが新興国向けに造船の中核ノウハウを販売する旨の報道がなされている。

 [引用開始]

 IHIは造船の中核ノウハウを他社に販売する。鋼板を船の形に合わせて曲げる加工工程はこれまで「職人技」に頼ってきたが、自動化するシステムを開発し新興国の造船会社などに売り込む。(「日本経済新聞」の2010年11月11日付)

 [引用終了]


 これが「造船事業からの撤退」への布石であることは、否定できないでしょう。

 重工業系企業の常とも言えるが、一般消費者には当該企業がどのような事業をしているのか、わかりにくい。特に、既に終了したり撤退した事業であれば、尚更です。それはIHIも例外ではありません。

 だからこそ、このような資料館を通して、IHIが日本の近代化する中で果たして伝えていくことには、意味があると思います。

【写真2】中央大橋越しに見る月島。


【写真3】佃公園・パリ広場。


【写真4】佃公園・「日本初の民営造船所 発祥の地」の碑。


 尚、資料館の見学後、佃公園を歩いてみた。

 しかし、佃工場の面影を感じさせるものは、もはやほとんど残っていない。かろうじて、「日本初の民営造船所 発祥の地」の碑が、かつてここに佃工場があったことを記録していた。

 山田宏哉記

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 2010.11.12 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ