ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2767)

 プロフェッショナル仕事の流儀「交通鑑識・池森昭」覚書

 NHKプロフェッショナル仕事の流儀「交通鑑識・池森昭」の回(11月15日放送)を視聴しました。その覚書は以下の通りです。

 年間、2万件の轢き逃げ事件が発生している。交通鑑識・池森昭。57歳。過去5年で死亡轢き逃げ事件検挙率100%。事故現場に残された1〜2ミリの破片から事故の実態を把握し、犯人の検挙に結び付けている。

 事故の現場に立つ時、池森が心掛けているのが「素直に、見る」ということ。

 曰く「起きたことを逆巻きにして、その事故の直前まで持っていくというのが我々の仕事だと思うんですよ。何事にも先入観をもたないで、まっさらな気持ちで現場に臨むってことかね。何もないところからあるものを探すのが我々だから」

 ある事故では、フロントガラスの破片と被害者が倒れていた場所から、事故当日の車のスピードを割り出した。

 交通鑑識の道具として、最も重要な道具がピンセットである。事故現場で採取するものは車の塗料など、微細なものが多い。それを傷付けないように取る。

 池森さんは3種類のピンセットを使い分ける。最も小さい試料を採取する際は、先端0.1ミリのコバルト製のピンセットを使う。池森さんにとっては「自分の指先」。

 業務型の大型掃除機も活躍する。事件の現場一帯に掃除機をかけ、土やほこりをできる限り集める。この土を割り箸でより分けながら、何かの証拠品が混じっていないか確認する。

 交通鑑識の面々は、昼食はてんやもので済ませることが多い。部下は池森さんを評して曰く「普段は普通のお父さん。但し、現場に行くと近寄れないですね」。

 2010年4月26日、緊急出勤。歩行者が車に撥ねられた。被害者は50代の女性。頭や胸を強打し、1時間後に死亡。

 現場に急行した池森たちは証拠品を探す。そして、9ミリほどの自動車の破片、通称「塗膜片」を4つ発見。

 塗膜片は「車のDNA」とも呼ぶべきもので、車種や製造年が特定できる。池森さんは塗膜片の鑑定で全国屈指の実力を誇っている。

 但し、現場で採取した塗膜片は色が白。種類が段違いに多い。

 捜査本部からは鑑識の進捗状況を訪ねる電話が何度もかかってくる。電話に答えて曰く「割れれば真っ先に言いますけど、まだ割れてないから、進捗状況も何もないんですよ。報告のしようがないですね。大丈夫だろうという段階で出しますんで、すいませんけど、宜しくお願いします」。

 池森さんは電話を切ってぼやく「途中経過なんか言えないんだ、我々は。言っちゃたら最後、バックできないもんな」。

 池森は簡単には結論を出さない。塗膜片とサンプルを見比べ続ける。そして、犯人が使用した車種や製造年を絞り込んだ。

 その2時間後、疑わしい車が見つかった。事故車からどうかを見極める。「間違いない、想像した通りですよ」。こうして、持ち主が轢き逃げの容疑者として逮捕された。この後、池森さんは容疑者立ち会いのもと、車を見ながら容疑者から証言を取る。

 池森さんは振り返る。試練は33歳のときにあった。

 27歳のとき、轢き逃げを担当することになった。曰く「もう本当に表に出ない地味な仕事ですね。自分が描いていたイメージとは違うものがあった。あまりにも地味すぎるというか」。

 交通鑑識の職場にいた職人気質の先輩たち。無駄口ひとつ叩かず、新入りの池森さんにも何も教えない。池森さんはひたすら先輩の仕事を傍らで見た。先輩たちは、来る日も来る日も塗膜片の照合繰り返す。プロの誇りが透けて見えた。

 交通鑑識の職場にいた職人気質の先輩たち。無駄口ひとつ叩かず、新入りの池森さんにも何も教えない。池森さんはひたすら先輩の仕事を傍らで見た。先輩たちは、来る日も来る日も塗膜片の照合繰り返す。プロの誇りが透けて見えた。

 そして6年後、轢き逃げ事件の塗膜片の鑑定を池森さんがひとりで行うことになった。それまでの技術を全て注ぎ込み、車種の結論を出した。その鑑定を元に、捜査が行われたが、疑わしい車が見つからない。

 いつしか「鑑定は本当に正しいのか」という声が聞こえてくるようになった。

 若き池森さんはいてもたってもいられなくなり、自ら志願し、車あたり捜査に加わった。しかし、車が見つからない。「もう針のむしろですよ。もう本当に。こんなはずはない、こんなはずはないって自分の中で葛藤ですよ」

 本当に自分はやりつくしたのか。もう一度鑑識をイチからやり直した。

 やれることはやりつくして、鑑識が間違っていないことを確認した。そして、上司に直談判した「もう一度、車あたりをやり直してください」。職を賭しての決断だった。

 もう一度、車あたりが行われることになった。

 池森さんの決断は間違っていなかった。犯人は帰省したいた大学生だった。そのため、捜査対象から漏れていた。

 以後、池森さんは困難な事件を次々と解決していくことになる。

 今の池森さんがあるのは、この33歳の時の修羅場を潜ったからだ。そんな風に池森さんは回顧していた。

 山田宏哉記

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 2010.11.20 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ