ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2787)

 "質問"に関するよくある誤解

 先日、教育に携わっている方が「生徒はわかっていなくても、質問をしない」という趣旨のことを言っていて、考えさせられました。

 現実には、学校空間でわからない人が理解できるまで先生に質問し続けたら、確実に"授業妨害"になります。ですので、「わからない人は黙っている」というのは、正しい対応ではあります。

 僕はそもそも「わからないから質問する」と考えること自体が、誤りだと思っています。

 冷静に振り返ると、僕は学校の授業で、わからなくて質問したことがほとんどありません。

 もちろん、理解できないことがなかったわけではなくて、理解できないことに対しては、爪が立たないので、質問のしようがなかっただけです。

 有効な質問をするためには、相手に対して「どこがどのようにわからないのか」を明確に説明する必要があります。

 これが言える時点で、既に全体の6〜7割を理解している必要があります。残りの3〜4割の部分を埋めるためにするのが、「質問」という行為なのです。

 学校教師の「わからない点は質問して下さい」という言葉が当てはまるのは、授業の理解度が6〜7割以上の優等生に限定された話であって、理解度が5割未満の人は質問をすることすらできません。

 教師が授業をする上で、生産的な質問をすることができるのは、勉強がよくできる生徒です。これは間違いありません。

 しかも、この種の優等生は、自分がわかっていることでも、他の生徒が躓きやすいポイントをわざと質問をしたりします。
 
 僕自身、何かを質問するのは大きく分けると、以下の3つの場合になります。

 1.相手が持っている知識や情報を聞き出したいとき。

 2.自分の理解が正しいか、確認したいとき。

 3.各種の教育的配慮で、敢えて知っていることを聞くとき。

 要するに、自分で調べたり、勉強すればわかることは、原則、質問しません。それは相手に対して失礼だと思っているからです。

 例えば、著名人にインタビューをするなら、その人が書いた著書等などには一通り目を通すのが常識でしょう。折角、時間を割いてもらうのだから、原則、著書を読めばわかることは聞くべきではありません。

 「プロフィールを教えてください」とか「どんな本を書いているのですか?」などという質問をしたら、「もう二度と取材には応じてもらえない」くらいの覚悟は持つべきだと思います。

 「質問する」というのは、それくらいに怖いことです。

 だからこそ、いざ自分が教える立場に回った時は「質問がないから、相手は理解できている」などと考えてはいけないのです。

 そのように考えると、質問というのは、むしろ教える側が教わる側にするものだと気付かされます。質問の答えが的確であって、初めて「相手が理解した」と判断できる。

 繰り返しますが、質問をする時点で、既に全体の6〜7割を理解している。わかっていない人は、質問すらできない。

 当たり前のことではありますが、つい忘れがちなことなので、敢えて記しておきます。

 山田宏哉記



 2010.11.30 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ