ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2790)

 「何をしたいのか」のキャリア論

 
日本人がキャリアの話をするとき、その殆どが"ポジション獲得"の話に終始しているように思います。

 本来、ポジションというのは、何かを実行するための"手段"に過ぎません。

 日本人は自前を政策案を持たず、議員の職に留まることを目的化した政治家を悪います。しかし、ひたすら"ポジション獲得"の話に終始し、「何をしたいのか」がないのは、自分自身にも当てはまるのではないでしょうか。

 僕たちは幼い頃から「大きくなったら、何になりたい?」と聞かれてきた。対照的に「何をしたいのか?」と問われることはほとんどなかった。「末は博士か大臣か」という言葉がそれを象徴しています。

 そしていつしか、"ポジションの獲得"が最優先課題となっていった。

 「研究者になりたい」と言う人は、本当に研究がしたいのか。よく疑問に思います。単に世間体や処遇の観点から、大学教員のポストを獲得したいだけの話ではないのか。

 以前は、自分の考えや作品を公衆に向かって問うためには、特定の職業に従事している必要があった。しかし、情報技術の革命により、環境的には誰にでも意見や作品、あるい写真や映像まで公開できるようになった。後は、本人のやる気次第だ。

 もちろん、僕たちは日々の生活費を稼がなくてはならない。

 この点に関しては、僕の中でもう結論が決まっていて、自分の強みと「何をしたいのか」が重なる部分を収益化するのがベストの選択だ。組織で働くのは環境的には恵まれているが、必ずもそうする必要はない。

 自分のキャリアを考える時、「何をしたいのか」を中心に据えれば余計な迷いはない。

 漫画を描きたいなら、漫画を描けばいい。実はそれだけの話なのだ。作品を公表する手段は、誰にでもある。

 もちろん、漫画だけを描いて生計を立てられるのはごく一握りだ。職業としてのパイは限られている。だから、他の仕事と兼業で漫画を描いている人もいるし、全く別の仕事で生活費を稼いで漫画を描いている人もいる。

 漫画を描きたくて、それを誰かに読んでもらいたいのなら、それでいいじゃないか。

 「専業の漫画家になれないとカッコ悪い」とか「印税だけで生活したい」などといった類の考えは、邪念として切り捨てるべきなのだ。そんなことに拘る人は、果たして本気で漫画を描く気があるのか。

 だからこそ、日本の子どもたちに強く言いたい。将来の夢を「○○になりたい」という言い方をすると、夢は叶わない。しかし、「○○をしたい」という言い方をすれば、夢は叶う。

 以上のような理由で、僕は「何になりたいか」よりも「何をしたいのか」を優先するべきだと思います。

 山田宏哉記



 2010.12.4 記事一覧へ戻る 文筆劇場・ト