ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2801)

 シニカルであること

 「シニカルであること」は、世間一般の価値観に照らすと、"直すべき欠点"のように思われます。

 だからこそ僕は学生時代、逆張りで「シニカルであること」を売りにしてきました。当たり障りのない建前が嫌いで、常に"本当のこと"を言おうとしてきたように思います。

 意識するか否かにかかわらず、一般に社会批判をする人は、自分を"社会の外側"に置いています。僕自身、さほど現実社会にコミットメントをしない立場だからこそ、できたことです。

 人間関係にもあまり配慮しなくてもよかったからできたことです。

 もっとも今、まさに社会の一員として、最前線で仕事をしていく以上、"シニカル一辺倒"というわけにもいきません。

 ある程度、人間関係にも配慮する必要があります。

 実務家が「評論家風情」であることは、許されない。それでは、周囲の人に動いてもらうことができない。

 僕は、ビジネスパーソンはあまり"社会批判"に熱中しない方がいいと思います。そこには「自分は当事者でない」という甘えがあるからです。「こんな世の中」にしてしまったのは、他ならぬ私だという自覚が必要でしょう。

 おそらく大人がとるべき態度は、"誰かのせい"にして責任者を追及することではなく、「我々が世の中を変える」という覚悟だと思います。

 そのとき、学生時代の強みであった「シニカルであること」をどのように軌道修正していくか。できれば、「シニカルであること」を強みにしたい。僕にとってはこれが結構、難しい問題でした。

 結論から言うと、僕は自分の中のシニカルな部分は、「ブラック・ジョーク」として処理することにしました。
 
 当たり障りのあることを言いたい時は、「青年の主張」みたいな言い方はやめて、「ブラック・ジョーク」として発言する。実際、この方が訴求力があるし、言語表現能力も鍛えられます。

 最近、好評(?)だったブラック・ジョークとしては、「国家権力を批判すると"痴漢容疑"で逮捕されます」や「日本の住宅は20年で資産価値がゼロになる。これを"ゼロゼロ物件"と呼ぶ」などがあります。

 これを「国家は冤罪を作っている。許せない!」とか「日本の住宅が購入後、急速に値下がりするのを何とかしろ!」みたいな言い方をしても、正直、あまり引っかからないでしょう。

 また、こういうアジテーションのような言い方をしていると、どんどん人も離れていきます。この辺りの機微は、なかなか難しいものがあります。

 幸い、日本ではブラック・ジョークが得意な人がほとんどいないので、差別化する上でも役に立っています。

 僕はいまでも、「シニカルであること」をやめたわけではありません。ただ、以前と比べれば、それを強みとした上で、世間一般と軋轢を起こさない形で表現することができるようになりました。

 山田宏哉記



 2010.12.12 記事一覧へ戻る 文筆劇場・ト