ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2814)

 梅棹忠夫(著)『知的生産の技術』覚書

 梅棹忠夫(著)『知的生産の技術』(岩波新書)を読了しました。言わずと知れたこの分野の古典とも言える作品です。初版は1969年ですので、40年以上も前に書かれたことになります。

 40年前と現在では、当然、取り巻く社会状況は違います。本書が書かれた時点では、インターネットどころか、文章を書くにも「手書きか、タイプライターか」が問題になっていました。

 それでも尚、今読んでも充分に参考になる書物だと言えます。それはひとえに"人間が知的生産をすること"を語っているからでしょう。

 まず、本書の基本的な姿勢は次の一文に凝縮されています。

 [引用開始]

 知的生産の技術について、いちばんかんじんな点はなにかといえば、おそらくはそれについて、いろいろとかんがえてみること、そして、それを実行してみることことだろう。たえざる自己変革と自己訓練が必要なのである。(本書P20)

 [引用終了]


 著者は「発見」「記憶と記録」「個性」「整理」「読書」「資料の蓄積」などを切り口に、知的生産の勘所を論じていきます。本書が読み継がれているのは、この洞察が優れているからに他ならない、と私は思います。

 以下、私が特に「現代的な意義が大きい」と判断した記述を紹介しましょう。

 [引用開始]

 「発見」というものは、たいていまったく突然にやってくるものである。まいにちみなれていた平凡な事物が、そのときには、ふいにあたらしい意味をもって、わたしたちのまえにあらわれてくるのである。(本書P28)

 わたしは、なるたけ記憶をたよりにしないようにしている。なかには記憶力のすぐれた人もいるけれど、だいたいにおいて人間の記憶はあてにならない。記憶をたよりに知的作業をすすめようとする人を、わたしはあんまり信用しない。(本書P55)

 ものごとは、記憶せずに記録する。はじめから、記憶しようという努力はあきらめて、なるだけこまめに記録をすることに努力する。これは、科学者とはかぎらず、知的生産にたずさわるものの、基本的な心得であろう。(本書P170)

 自分自身の経験の記録を、着実につくっていくというのは、資料の蓄積ということをもつ効果を信じているからにほかならない。(略)人生をあゆんでいくうえで、すべての経験は進歩の材料である。とくに、われわれのように、知的生産を業とするものにとっては、これはほとんど自明のことである。(本書P174)

 [引用終了]


 上記の引用文からは言えるのは、「発見は記録しなければならない」ということです。発見というと少し大げさですので、「気付き」と言ってもいいでしょう。

 肝になるのは、「脳の外部に記録する」という点です。この重要性はいくら強調しても強調しすぎることがありません。

 人間は忘れやすい生き物です。また、忘れることが望ましいことも多いものです。記憶というのは、大抵、記録に残すことで初めて、後から「検索可能」になる。

 現代社会においても、尖鋭的な人はウェブを「外部記憶装置」として使っています。これは、知的生産を考える上で、極めて合理的な方法だと言えます。

 [引用開誌]

 ものごとがよく整理されているというのは、みた目はともかく、必要なものが必要なときにすぐにとりだせるようにないる、ということだとおもう。(略)

 整理は、機能の秩序の問題であり、整頓は、形式の秩序の問題である。やってみると、整頓よりも整理のほうが、だいぶんむつかしい。(本書P81)

 [引用終了]


 整理を「必要なものを、必要なときに、すぐに取り出せるようにすること」と定義するのは、卓見でしょう。まさにその通りです。

 むろん、整理の方法論は、40年前と現代では異なります。扱う情報量が、飛躍的に増えている今、著者が定義するような「整理」の必要性は、益々高まっていると言えるでしょう。

 [引用開始]

 読書においてだいじなのは、著者の思想を正確に理解するとともに、それによって自分の思想を開発し、育成することなのだ。(本書P114)

 [引用終了]


 これも明示的に言われることはあまりありませんが、読書を有益なものにするためには必須の指摘です。

 それでは、以上のようなことを踏まえた上で、私たちが目指す境地はどこにあるのか。知的生産を効率的に行うことによって、何を得られるのか。著者はこの点についても、明確に論じています。

 [引用開始]

 知的生活の技術のひとつの要点は、できるだけ障害物をとりのぞいてなめらかな水路をつくることによって、日常の知的生活にともなう情緒的乱流をとりのぞくことだといっていいだろう。精神の層流状態を確保する技術だといってもいい。努力によってえられるものは、精神の安静なのである。(本書P96)

 [引用終了]


 知的生産の技術の目的が「精神の安定」というのは、なかなかに興味深い指摘です。

 ひとつ付け加えて言うなら、行間から書き手の「悩み」「葛藤」が読みとれない文章は、あまり真面目に読む価値がないでしょう。「私は"答え"を知っている」というのは宗教家の態度であり、知的には誠実であるとは言えません。

 実は著者自身、確固たる「答え」を持っていないことをよく自覚しています。それは実際に本書を読めばよくわかります。その上で問題提起をしている。だからこそ、その思考のプロセスに価値があります。

 本書が読み継がれている理由。それは一言でいえば「知的に誠実であるから」ではないでしょうか。

 (以上、2200字)

 山田宏哉記



 2010.12.19 記事一覧へ戻る 文筆劇場・ト