ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2827)

 会いたい人に、会いに行こう

 ウェブの普及によって、環境的には「誰かとコンタクトを取る」ことが容易になりました。

 以前は、「連絡先」を調べるだけでも一苦労でしたが、今はツイッターのアカウントを持っている人なら、簡単に連絡が取れます。これは素晴らしいことです。

 果たして、僕たちはその恵まれた環境を充分に活かしていると言えるでしょうか。

 おそらく「これは!」と思う書籍や論文やブログの記事を書いている人に対しては、積極的にコンタクトを取って、「ぜひ、面会したい」と申込むべきなのだと思います。うまくいったらラッキーですし、断られたとしても失うものはありません。

 特に実務的な物事であれば、テキストだけで理解しようとするより、本人から口頭で説明を受けた方がニュアンスを含めて深く理解できます。

 私の武術の師匠は、会いたい人がいたとき、本人に対して直接連絡はせずに、周囲に「会いたい」と公言していた。そうすると、不思議と会う機会ができるという話でした。

 あるとき、その師匠がある作家の小説に感動して、僕に「この著者に会いたい」と言ったことがありました。

 当時、編集アシスタントをしていた僕は、その作家の方に「師匠が貴方の小説を読んで感動して云々」と手紙を書きました。そしたら、なんだかんだで面会が実現しました。

 自分で直接、本人にコンタクトを取るより、周囲を巻き込んだ方が、自然な形になると思います。

 もっとも、小説家にはあまり会わない方がいいかもしれません。あくまで私見ですが、作家には割と「自分にないもの」や「自分の憧れ」を書く傾向があると思います。

 作品のクオリティと、作家の人間としての倫理観は全く別物です。素晴らしい作品を書く作家が、人間として優れている保障はありません。例えば、太宰治が人間としては最悪だったとしても、それは彼の作品のクオリティや評価とは何の関係もありません。

 比喩的に言えば、芝居の役者が「自分とは違うタイプの人間」を演じたいと思うのと似たようなものではないでしょうか。演技なのに、わざわざ「自分そっくりの役」をしても仕方がないという面はあると思います。

 何はともあれ、僕は今まであまり、「会いたい人に会いに行く」ということを積極的にしてきませんでした。その考えは、改めようと思います。

 但し、「これは!」と思う記事の書き手が若い女性の場合、「是非、お会いしたい」と申し込むのは、どうも感覚的に躊躇してしまいます。

 変な下心があると思われるのも嫌ですが、「異性としての貴方には興味がありませんが、書き手としての貴方には興味があります」などと書くのは、さらに失礼に当たります。

 というわけで、「これは!」と思う表現者がたまたま若い女性であった場合に限り、周囲に「会いたいなぁ」と公言して何かの機会が訪れるのを待つか、相手から誘われるのを待つことにしたいと思います。
 
 (以上、1200字)

 山田宏哉記

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 2010.12.26 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ