ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2831)

 ツイッターで変わる人間関係

 2010年を振り返って最も特筆すべきことは、何と言ってもiPhoneを購入して、ツイッターを本格的に使い始めたことです。1年前には想像もできなかった変化が生まれました。

 ツイッターが縁になり、新たに出会うことができた方、再会できた方がいました。単純にこれは、素晴らしいことだと思います。
 
 本日、友人の女性と電話した際、ツイッターのアカウント取得をお勧めしました。

 これで、随分と連絡が取りやすくなりました。また、相互フォローすることで自然と"近況報告"ができるようになります。

 ツイッターをする上では、やはりある程度、実生活の人間関係が含まれてた方が望ましいでしょう。

 友人が読んでいると考えれば、あまりに品性を欠く発言はできないものです。自分の発言に責任を持つためには、そういう「しがらみ」があった方がむしろ良いでしょう。

 もちろんそれは、第三者が読んでも全くわからないような内輪話を推奨するわけではありません。逆に実生活での知り合い同士だけで繋がるのも、可能性が限定されてしまうように思います。

 礼節と品質を担保するためには、実生活で関わる人とそうではない人が混在するのが望ましいと僕は思います。

 但し、改めて思ったけど、実生活の友人だと「昼食は納豆ごはん」みたいなどうでもいいようなツイートでもおもしろい。でも、こういうことはわざわざ電話やメールで連絡したりはしません。このギャップが盲点でした。

 僕は大切なことを忘れかけていた。

 人間同士の親密さは、おそらく「どれだけどうでもいい話をできるか」にかかっています。ツイッターで相互フォローしている人に親近感を感じるのは、たぶん「どうでもいい情報」を共有しているからだと思います。

 人間関係で大切なのは、たぶん「用件がなくても話ができる」ということです。振り返ってみればわかるように、好きな人と話すのは、大抵、何か具体的な用件があるからではありません。

 だからこそ、相手のことが嫌いでない限り、「何か用?」という言葉は禁句にしたいものです。

 また、以前はどこかへ行って写真を撮っても、それを見せる相手や機会は随分と限られていました。

 でも、景色や建物や雑踏の様子のようなものは、別に秘密にするようなものじゃない。そして、写真の共有(=視覚の共有)が日常的にできるようになった今、人々の間の距離感覚は以前よりも縮まっているのではないでしょうか。

 以上を持ちまして、2010年を締めくくる記事と致します。2011年も宜しくお願いいたします。
 
 (以上、1200字)

 山田宏哉記

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 2010.12.31 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ