ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2949)

 希望はなくても生きていける

 震災以後、色々あって自分の人生観や仕事観、世界観が徐々に揺らいできています。

 緊急時はあまり「痛み」を感じないものです。ですが、少し余裕ができて、その傷の深さに自分でも驚いてしまいます。

 僕はこれまでいかに多くの事を見逃してきたか、否応なしに気付かされました。

 どれだけ「普通の生活」が貴重な存在か。「仕事がある」ことがどれだけ恵まれているか。僕はあまりにわがままで傲慢だったと思います。

 4月以降、僕の生活も大きく変わることになります。「生計を立てる」というハードルがこれまでより高くなるし、色々なことを諦める必要も出てきました。

 しかし、震災の被災者のことを考えれば、贅沢は言っていられません。

 友人が「悟るとは諦めることだ」と言っていました。これはその通りだと思います。

 僕ももう、自分で「素質がない」と認めてもいい頃だと思います。人の2倍努力して、ようやく人並みに達するかどうか。

 「自分は人並み以下」だと認めてしまえば、随分と世界は生きやすくなるのではないか。もう肩肘を張った努力はしない。だけど、誠実に生きる。「それでいいじゃないか」と思います。

 普通の人が努力せずにできることを、僕は意識的な努力や勉強をしないとできません。そういうスペックの低い人間なのです。

 だから「普通の人が努力も勉強もしない」ことに苛立つのは根本的な誤りです。僕が自己研鑽をするのは、能力不足を補うための「リハビリ」に過ぎません。"健常者"には必要のないことです。

 僕は器用な人間じゃないので、海外で生活することも難しいでしょう。何だかんだ言っても、日本社会にしがみつくしかありません。それで生活が貧しくなるなら、それを受け入れよう。

 さぁ、行こう。希望はなくても生きていけるものだ。

 (800字)
 
 山田宏哉記

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 2011.3.28 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ