ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2951)

 "割切る"という弱さ

 「割切る」というのは、大抵、弱さの現れであるように思います。

 現実は複雑なので単純に「イエスか、ノーか」では割切れません。それを割切ることは何を意味しているのか。

 簡単に言えば「脳への負荷を減らす」という意味があります。

 特に説明や説得をする時は、単純な2項対立にしてしまった方がわかりやすい。あるいは自分の考えに合う情報だけを選択的に収集する。

 気持ちの面での"割切り"もあります。

 例えば、自分の提案が通らなかったとき、割切って「もういいや」と思ってしまう。頭では「それではいけない」と思うのだが、つい感情が表に出てしまう。見に覚えのある人も多いのではないでしょうか。

 あるいは「仕事は生活の糧を得るための手段」という"割切り"があります。

 日雇いのアルバイトをするなら、この種の"割切り"はむしろ望ましいかもしれませんが、大抵の仕事は、このような姿勢では通用しないでしょう。

 僕自身、油断すると「表面的に謝って、頭を下げておけばよい」とか考えがちですが、それは甘い。

 まともに仕事をする人からすれば、本音の部分で「上辺を取り繕って、うまく世の中を渡ってやろう」と考えている人はすぐに見抜けるようです。

 一方で「仕事は自己実現の手段」と決め付けるのもどうかと思います。僕自身、「綺麗事を言うな」とツッコミを入れたくなります。

 「生計を立てなくてはいけない」と思う一方で、「飯を食うためだけじゃない」とも思います。どちらも間違ってはいないと思いますが、肝心なのは「割切ってはいけない」という部分でしょう。

 "答え"なんてない。限られた条件の中で少しでも良い選択をしていくしかない。

 今一度、「割切りとは心の弱さである」と自分に言い聞かせたいものです。

 (800字)
 
 山田宏哉記

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 2011.4.2 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ