ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2955)

 "核武装への布石"としての原子力発電

 原子力発電に関して色々と報道がなされ、多くの人が賛否を議論しています。

 個人的に隔靴掻痒の感があるのは、原発が「安全か、危険か」とか「経済的か、否か」という議論に終始していることです。

 熱心に原発を持ちたがる国があります。必ずしも「クリーンなエネルギー」を求めているようには見えません。

 "原発推進"にはあまり声を大にしては言えない暗黙の了解があると思います。それは"核武装への布石"という特殊な意味合いです。

 昨年に放送されたNHKスペシャル「"核"を求めた日本」(2010年10月3日放送)によると、1960年代、外務省の官僚たちは西ドイツとの秘密協議で以下のような発言をしています。

 「日本は憲法9条があることで、平和利用の名の下に、誰にも止められることなく原子力の技術を手にした。日本は核弾頭を作るための核物資を抽出することができる」

 この協議に出席した西ドイツのエゴン・バール氏は「大変なことだ」と激しく動揺したようですが、唖然とするのは日本国民も同じでしょう。

 総合的に判断すると、原発がクリーンで安全で経済的な発電方法というのは少し無理があるし、福島第一原発のように事故が起きれば大変なことになります。

 但し、「発電と核弾頭に搭載するためのプルトニウム抽出を"一石二鳥"で行うことができる」と考えれば、原発は非常に"経済的"です。

 公然と語られることはありませんでしたが、原発推進の背景に「核武装への布石とするため」という動機は、確かにあったのでしょう。

 原子力発電は、東西冷戦と米ソの核兵器保有競争と密接な関係があるように見受けられます。

 また、日本の"原発の父"である正力松太郎はCIAから「ポダム」というコードネームを与えられていた、いわくつきの人物です。正力が原発推進に熱心だったのは、やはり日本の核武装を想定してのことだったようです。

 しかし、一時は現実味を帯びた日本の「核武装」はもうないでしょう。この状況で核兵器工場を受け入れる市町村があるとは思えないし、作業員も集められないでしょう。

 日本の核武装論はもう終わりだし、終わりにするべきでしょう。

 福島第一原発の事故は「平和利用の名の下に、原子力の技術を手にした。日本は核弾頭を作るための核物資を抽出することができる」などと言っていた驕りに対する天罰のようにも見えます。

 (1000字)
 
 山田宏哉記

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 2011.4.5 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ