ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2956)

 プライドを捨てる、強く生きる

 はてな匿名ダイアリーの「頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない」という記事を読みました。率直な心情が記されているので、まずは引用します。

[引用開始]

町を見ると、死にたくなる。

自分の人生は、もう終わったなって思うよ。

こっからは、もう、どう頑張っても金持ちにもなれないだろうし、家だって、もう、二度と持てる気がしない。

何も希望なんかないよ。

そんな俺たちがさ、避難所で、CMでアイドルや俳優を見てさ、「一緒だよ、1人じゃない」とか言われるたびに、ああ、あの世界は自分たちとは、もう全然違ってしまったんだと思う。

家がある人の言葉だなーと。安定してるなーと。

そんなCMとかして充実もしてんだろうなーと。

家が流されてなくてさ、帰る場所があって、仕事があって、地に足が付いてる人が、すげぇ神妙な顔で、お洒落な服で、こっち見て何か言ってるな、と。

おまえに言われたくないと。ほんとに。何も言わないでほしい。

http://anond.hatelabo.jp/touch/20110407001402
[引用終了]


 非常に重い言葉です。全員がこういう認識ではないと思いますが、特に「おまえに言われたくない」という部分は、被災者の本音の部分を代弁していると思います。

 40代50代の人が住宅ローンで購入した家を流され、同時に仕事も失ったら、本音では「彼はもう終わりだ」「再起不能だ」という受け止め方が普通でしょう。残酷ながら、その受け止め方は間違ってはいない。

 震災前に築いた生活やキャリアを捨て、夢や希望を諦める。そして、今を生きることに集中する。「強く生きる」とは、たぶんそういうことです。

 それをできない人が被災者に「頑張れ」とか上から目線で言うのは、随分と失礼な話です。

 被災地以外の人が、本気で被災者のことを考えるなら、かける言葉は「プライドを捨てて生きろ」ではないかと思います。

 震災で家と仕事を失った人だって、「好きなことを仕事にしたい」とか「お金持ちになりたい」とか「いい女を抱きたい」とか、あれこれ煩悩は持っていたと思います。そういう"贅沢な願望"をあきらめるのはつらいことです。

 失われたものは帰ってきません。震災前の恵まれていた頃の記憶は忘れて、ゼロからやり直す。必要なのはそういう姿勢ではないでしょうか。何かの度に震災前のことを思い出して比較すれば、いたたまれなくなるばかりです。

 果たして他人に対して、「プライドを捨てて生きろ」と言うことができるか。これは使う側の資格が問われる言葉です。僕も安易に使うことはできません。使っても、「お前に言われたくない」と思われるのがオチでしょう。

 但し、これだけは言うことができる。

 「もう、あの頃には戻れない」と考えると、誰しも胸が締め付けられるものです。僕もそうです。色々なことが今ではもう手遅れです。「人生をやり直したい」と思うことも多々あります。

 その一方で、人間は忘れていきます。過去の記憶はやがて薄れていきます。

 地震前は人も羨むエリートだったとしても、地震で家を流され、仕事を失い、今後は生計を立てるために、土方や掃除屋、街頭でティッシュ配りをするしかないかもしれない。

 不本意だろうが、それもまた人生です。日本では、それが嫌で自殺する人が後を立たないようにみえます。問われるのは「職業に貴賎はない」と本気で思えるかどうかでしょう。

 僕も、日雇い労働や掃除屋、街頭でのビラ配りを経験したことがあります。金銭的に報われる仕事ではありませんが、その中でも充実感はあったし、腕を磨けたのは救いでした。

 だから、僕は自戒の念をこめて言う。「プライドを捨てて生きろ」と。

 (1400字)
 
 山田宏哉記

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 2011.4.8 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ