ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2959)

 反原発の思想「私の生活を脅かすものを許さない」
 
 原発事故に対する人々の関心の高さをみるにつけ、反原発の機運が高まるにつけ、ずっと釈然としない思いがありました。

 ウォールストリートジャーナルの日本版の「石炭は核よりも危ない」という記事では「毎年、炭鉱事故(特に中国での事故)で死亡する人の数は、核関連の事故の死者数合計より数千人以上多い」と記されています。

 確かに人命を基準に考えるならば、火力発電よりも原子力発電の方がより安全かもしれません。しかし今、そんなことにはお構いなしに「原子力から火力発電へ」ということがまことしなやかに言われています。

 僕には、この世相がよくわからなかったのですが、ようやく気付きました。

 火力発電のための炭鉱事故の死者数を問題にせず、原発事故の放射能漏れを問題にするのは、それが"私"に関わることだからでしょう。

 落盤事故による炭坑夫の死亡はあくまで「業界内部の事情」です。対照的に原発事故の放射能漏れは「部外者」に迷惑をかけます。

 これが火力発電と原子力発電の本質的な違いでしょう。そしてどうやら、この違いは人命より重いのです。

 よくよく考えると、反原発の思想の本質は「私の生活を脅かすものを許さない」ということです。

 だから、火力発電のために炭坑夫が落盤事故で死ぬのは「仕方ない」が、原発事故で私の生活が少しでも脅かされるのは「許せない」と思う。

 同様に、地震と津波による死者行方不明者が約3万人もいるのに、原発事故の方が重要な関心事だったりします。その理由は、地震津波は「お気の毒に」で済む話だが、原発事故は自分の生活を脅かす可能性があるからでしょう。

 人間はそういうエゴイスティックな生き物です。しかし、失望するには及ばない。

 なぜなら、そうやってエゴを自覚しながら生きることこそが、大人と子どもを分ける境界線のひとつだからです。

 (800字)
 
 山田宏哉記

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 2011.4.16 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ